「感謝の夕べ」で声を掛けあう久保会長と松井市長、中央奥は森保監督、右端は東広島市の蔵田市長
サンフレッチェ広島が株主とパートナー企業関係者を招いての「感謝の夕べ」を11月28日、広島市中区のホテルで開催した。
その中で挨拶したサンフレッチェ広島の久保允誉会長は、今季のここまでの成績についてと来季に向けてのチームの意気込みを「優勝争いに絡んでいきたい」と述べたあと、懸案のサッカースタジアム問題について次のように話した。
「一歩二歩前進したというふうに思っております。今、県・市行政といろいろな打ち合わせをしながら新スタジアムについての検討を、現場レベルでは毎週のようにやっております。まだ課題は若干ございますけど、何とか早期の実現に向けて応援していただければと思います。私も精いっぱい頑張っていきたいと思います」
そのあと来賓挨拶でマイクの前に立った松井市長の発言は、翌日29日の中国新聞や夕方の各局ローカルニュースでも紹介され、おそらく”従来から一歩踏み込んだ内容”として読者、視聴者へ伝わったのではないだろうか?
松井市長の「感謝の夕べ」挨拶の中からスタジアム関連の部分を抜粋すると…
「そして現在、サッカースタジアムについての話が現在、久保会長からありましたように進んでおります。県と市と商工会議所とサンフレッチェ広島、4者で協力して検討を進めております」
「そして検討に当たって、私はポイントを、次のようなことになるんじゃないかと思っております。まず広域的な集客効果を高めるということ、そして地域交流、あるいは国際交流を促進できるようにして国際平和文化都市広島に相応しいものにする、と。これをまず念頭に置きたいと思います。その上で、新たな広島のシンボルとして広島市のみならず広島県全体の活性化に繋がるようなスタジアムの整備ができるようにしたいと、そのために引き続き取り組んでいきたいと思っていますので皆様方のご支援ご協力をぜひよろしくお願いしたいと思います」
抜粋は以上。
「そして検討に当たって、私はポイントを…」以下の部分は、地元ローカルニュースでも放送され、多くの市民・県民が確認できたことだろう。それをもっていろいろ前向きに…ととらえることは自由である。(松井市長の発言についてはまた次回、述べる)
一方の久保会長。ミキッチ選手のクロスのような切れ味鋭い従来の”論調”が影を潜め、内容を吟味しながらの挨拶となった。おそらく集まった関係者も、そう感じたのではないだろうか?
そもそもこの日、松井市長が語った「広域的な集客」「国際交流」「国際平和文化都市広島に相応しいもの」「新たな広島のシンボル」などは本来、広島市が率先して語るべきところを、久保会長が独自案「Hiroshima Peace Memorial Stadium」の中に盛り込むことで明確してきたものである。何ら目新しいコンセプトではない。広島にスタジアムを造るなら当然の話だ。(この件も次回にまた述べる)
久保会長の強い意思は、この日の発言の中では唯一「早期実現」のところからしか感じ取れない。それが長らくこの問題を取材してきての偽らざる感想である。
そして、最大の問題なのは、なぜそうなってしまっているか、である。
本来なら松井市長はスタジアム問題推進の最高責任者として、「いつまでにスタジアムを完成させたい」のか、その時期を例え幅を持たせてでも明らかにするべき時を迎えている。久保会長の思いを汲むなら当然、そういう話になるはずだ。
それなのに、この時期になってまだスタジアムのコンセプトを語っているようでは…。裏を返せば最悪、当分やる気なし、とさえ思えてくる。こんなひろスポ!取材班の見通しがハズレてくれることだけを願いつつ、もう何年もおんなじ気持ちのまま、また12月がやってくる。
広島新サッカースタジアム取材班