ミスターバスケットボールと呼ばれた佐古賢一氏が広島に誕生した新チーム、広島ドラゴンフライズのヘッドコーチ着任会見を行った。
前日の朝、4人の子どもと夫人が見送る中、横浜市内の自宅をあとにした佐古氏。家族写真とメッセージを鞄に仕舞い込み「胸の痛み」を押さえて広島入りするころには「自分の中に芽生えているのは緊張感、それと不安と期待が半々」という心境にもなったという。
挑戦する環境にいれば挑戦を惜しまない
それでも新天地でのゼロからのスタートを選択した理由について佐古氏は「自信がある、とかないとかじゃなくて、挑戦できる環境が欲しい。みなさんが思っているのと違ってだらしない男ですので、挑戦する環境にいれば挑戦を惜しまない」と説明。さらに「優勝争いをしているチームに行くのは生活の一部だが、僕は挑戦しにきている」とマイクの前で声のボリュームを上げた。
昨年11月、広島ドラゴンフライズ入りを決め一度は就任会見のため広島を訪れた佐古氏はその後、選手獲得のミーティングなどで広島通いを繰り返してきたが、今回からは腰を据えてチーム作りと指導にまい進する。
チームには現在、大学新卒の練習生4人が所属。近々、もう1名が加わるが、残りのメンバーは外国人選手も含めて現在ピックアップの真っ最中で、まだその輪郭すらよく見えていない。
それでも、いやそうだからこそこの新チームでのNBL参戦の道を選んだ佐古氏は、広島初のプロバスケットボールチームを成功に導くことで自身のもうひとつの夢の実現に向けてもその歩みを進めるつもりでいる。
広島に誕生した新チームと自分の歴史を重ね合わせる
これまでもチームからのオファーは届いていたが「日本代表の方をやりたいから」とすべて断りを入れてきた。しかし、プレーヤーとしての経験は豊富でもヘッドコーチとしての実績がないことが、将来の自分にどんな影響をもたらすのか?「日本代表チームも単独チームも“チーム作り”の難しさは一緒かも?」そんな思いが頭をもたげていたころ、たまたま声をかけてくれたのがまだ何も固まっていない広島に生まれたばかりの新チームだった。
「チームの歴史と自分の歴史が重なるところが一番。チーム作りに参加させてもらってヘッドコーチとしても学び、球団経営のノウハウも学びたい」
“広島着任”の動機を改めてそう語った佐古氏は「人生が終わるまでに代表をどうしてもオリンピックにつれていきたい」ときっぱり!
と同時に「将来、リーグも大きくなり、サッカーや野球に近づけば1億円プレーヤーも出てくる」とNBLと広島ドラゴンフライズの未来も見据える。
目指すは「規律を重んじ、一丸となって戦い、最後まで決して諦めないチーム、ファンが見て楽しい攻撃型のプレースタイル」
カープ、サンフレッチェ広島など各種スポーツが盛んな広島で、ミスターバスケットボールの「ゼロからの挑戦」がこの夏、始まろうとしている。
佐古賢一(さこ・けんいち)1970年7月13日、山口県岩国市生まれ、神奈川県横浜市出身。身長179センチ、体重80キロ。
北陸高校から中央大学に進み、社会人ではいすゞ自動車リンクスのあといすゞ自動車ギガキャッツ(1993-2002年)、アイシン精機シーホース/アイシンシーホース(2002-2011年)ポジションはポイントガード。
ミスターバスケ、と称された日本を代表するプレーヤー。トップリーグ(日本リーグ、JBLスーパーリーグ、JBL)優勝9回。日本代表では10年連続で司令塔として活躍。1998年には31年ぶりとなる世界選手権出場の快挙に貢献した。