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2019年01月26日
編集部編集部

森保ジャパンがUAEでアジアの覇権を争う日に、戦争と平和と広島サッカーと…似島ドイツ軍捕虜vs”広島代表”初の国際マッチから2019年1月26日で100年

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似島
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日本初のサッカー国際マッチ…ドイツ人捕虜たちと”広島代表”らの記念写真(「ふるさと似島」編集責任者・浜本義幸氏所蔵)

ひろスポ!では2016年12月1日に次の記事を掲載した。

ドイツ軍捕虜との交流試合からもうすぐ100年、サンフレッチェ広島が頂点狙うサッカー天皇杯の歴史と平和都市広島の過去と未来(サッカースタジアム取材班)
hirospo.com/pickup/34325.html

宇品 似島

2019年1月26日。「きょう」は…

日本が初めて”世界のサッカー”と対戦し、サッカー王国と呼ばれるに至った広島がその第一歩を踏み出した日から数えてちょうど100年になる。

たまたまだろうけれども、午後から広島市内ではHIiFA AWARDS 2019、広島県サッカー界で活躍する人たちの表彰イベントが開催される。

またUAEでは広島サッカー界を代表する人物のひとり、森保一監督率いる日本代表がアジアナンバーワンまであと2勝として、2日後に迫るアジア杯準決勝のイラン戦に備えている。

森保一監督はサンフレッチェ広島時代も今も「平和」をベースにピッチの上に立ち続けている。

1914年、第一次世界大戦勃発。近代戦争はそれまでと比べものにならない災いを世界にもたらした。1917年(大正6年)、大阪収容所のドイツ軍捕虜は似島(現在の広島市南区)へ移された。大阪収容所時代に結成されたサッカー好きの軍人たちからなる、ドイツ人サッカーチームもやってきた。

1919年(大正8年)の1月26日、広島高等師範学校(現在の広島大学)のグラウンド(現在の広島市南区)で、日本初と言われるサッカーの国際親善試合が行われた。

対戦したのは広島高等師範学校、広島県立師範、高等師範付属中、広島一中の生徒たちの合同チーム。1試合目が5-0、2試合目が6-0。ドイツ兵捕虜チームの技術力に圧倒されたという。

ドイツサッカーはやがて指導者たちによって広島の中学生たちに伝えられた。当時、広島高等師範学校で主将だった田中敬孝(現在の広島市南区翠町出身)がその技術などを母校の「県中」(広島県立広島中学、大正11年から広島一中、現在の国泰寺高校)や関西の複数の中学に広めたとされる。

サンフレッチェ広島のチームカラーは国泰寺高校のスクールカラーだ。

100年の歴史、広島サッカーの歴史は、人々の生活や都市の発展と原子爆弾による壊滅と復興、その先の未来と重なりながら、また次の100年を迎えることになる。

※この記事は「広島スポーツ100年取材班」田辺一球が担当する福山平成大学の「広島スポーツ学」講義内容を引用しました。

似島
広島スポーツ学の講義

似島
似島にはいたるところに戦争の遺構が見られる、この画像は2019年1月撮影、内陸部と海岸線を繋ぐ軍事トンネルで今も利用されている

似島
似島は1945年8月6日以降、筆舌に尽くしがたい地獄も見てきた、今は豪雨災害からの復旧・復興に向けた日々を送る

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