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2019年03月16日
編集部編集部

空に向かって打て!広島とともに、プロ野球ファンとともに歩んだ、新井貴浩さんマツダスタジアム引退セレモニー、そして最後のメッセージ

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新井貴浩
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引退セレモニーを見守るファンの心に、背番号25は宿り続ける、ずっと…(画像はセレモニー前後に撮影)

 

現役生活20年、昨シーズン限りで引退した新井貴浩さんの引退セレモニーが3月16日、マツダスタジアムであった。

…ずっとその姿を見てきた。

入団前、広島市内のトレーニングクラブの片隅に、ひょろりとした感じで自信なさそうに立っていた頃から…

広島工でともに甲子園を目指した仲間の中には「あいつがプロでやるんならオレも…」と一度、仕事を始めたのに練習を再開し、入団テストを受けたツワモノもいた。

「空に向かって打て!」

その心意気でやる、と本人がテレビカメラに向かって話したのは、プロ2年目、2月沖縄キャンプ(当時、広島のキャンプは沖縄→日南の順)だった。ほどなく、言わなくなったのは「おまえアホか、とコーチに怒られたから」。

「江藤さんがおられななったので…」巨人にFA移籍した四番の代わりにサードのレギュラー争いに参戦!その意気込みが「空へ…」だった。

当時の達川監督の下で、広島市民球場の右へ、左へとホームラン。右の長距離砲の片鱗を見せた。

山本浩二監督の時に、また主砲・金本が抜けると「四番」に抜擢されたが、地獄を見た。その重圧に耐えられず、ファンのヤジが飛び交う中、とうとうスタンドに向かって吠えた。大好きだった広島市民球場のスタンドに向かって…

もう、限界だった。

先が、まったく見えない。そんなシーズンを過ごしながら、2005年、東京ドームでの開幕3連戦で誰にも真似のできない大アーチを連発して蘇った。辛抱して起用し続けてくれたのはミスター赤ヘル。

シーズンの終わり、ホームランの数は43本にまで伸びた。「オレを抜けよ」と「浩二さん」に激励された。もちろん、あの広島市民球場の一塁ベンチ前で、だ。

しかし「浩二さん」の44本には届かず…

親身になって打撃指導してくれた内田順三コーチの退団も決まっていた。ふたりが広島市民球場のグラウンドに最後に立った日の打撃練習。そのバットから弾き出された打球に度肝を抜かれた。立て続けにレフトスタンド最上段へ…

 

惜別弾も、まさに空に向かって打て!だった。

「キング」のタイトルを手にしたこの年、同時にエース黒田博樹も最多勝。でもチームは最下位だった。

その2年後、球場そばの街路樹の落ち葉舞うころ、ふたりはほぼ時を同じくして広島に別れを告げた。ふたりとも泣いていた。しかしそのニュースを制作するこちらも、心で泣いていた。

2011年、東日本大震災。2005年の球界再編問題でもう懲りたはずなのに、巨人・読売グループを中心とした経営者側の理論でプロ野球がまた、ねじ曲げられかけた。

この時は、ファンと12球団選手らの先頭に立った。プロ野球選手会の長、として。

だからこの日の引退セレモニーでも、あいさつの言葉は全12球団のファンと向き合ったいた。その最後でカープファンへ感謝の言葉を述べ、泣くのをぐっとこらえたのは、父親としての強さだったのだろう。

あのころ、阪神のユニホームを着ていても、広島のこと、カープのことを気にかけてくれていたのは知っていた。

そして緒方新監督誕生の声を”合図”に、またふたりは広島に帰ってきた。

話は遡るが「カープが大好きだから…」と泣いた、あの退団会見の日の真実。極めて身近にいる関係者から「朝もずっと悩んでいた」ことを告げられた。

それほど悩んで一度は阪神の新井となり、また赤の魂を宿すようになり、広島の空を打ち抜く大アーチでファンの心をひとつにした。

20年はあっという間。そしてこの先もまた、あとで振り返ればあっという間だ。

「自分以外の力が自分のプレーを後押ししてくれる」

真っ赤なスタンドからのエネルギーが、その赤の魂で増幅される。

2000本安打や25年ぶりのリーグ優勝、さらには七夕の奇跡、鈴木誠也への四番の引き継ぎ、リーグ3連覇と次々に広島の球史にそのシーンを刻んで行った。

「お父さんが貴浩、マラソンだぞと言ったので、広島市民球場まで走って行きました」そんな作文を書いた小学生が、この日のマウンドでは、長男、次男の立つ打席で始球式の1球を投じた。

「僕も生まれた時から野球が好きで、カープが当たり前のようにそばにあった。当たり前のように応援するようになったんです。そうした環境を誇りに思って欲しいし、感謝して欲しい、みんなで楽しく明るく夢に向かって頑張って欲しい。なかなかこんな環境はないのだから」

広島の青空と真っ赤なマツダスタジアムのスタンドに、手を振った新井貴浩さんの、背番号25という広島の心からの、これがラストメッセージ、である。

ひろスポ!新井貴浩取材班

この記事は、2000年から取材を開始し、日々更新される携帯サイト「田辺一球広島魂」で19年回連載された「空に向かって打て!」コラムをもとに構成しました。

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