トップ画像は、新庄打線爆発…のシーン、捕手は竹原1年生の吉本陸翔選手
一度はみんなが諦めかけた夏。
でも、関係者のみなさんの努力によって、全国高校野球選手権大会に代わる夏季広島県高校野球大会の開催が決まりました。開幕日は7月11日。その二週間前となった6月28日、広島市内で組み合わせ抽選会が行われました。3年生にとっては最後の舞台です。
参加するのは90校88チーム。新型コロナウイルス感染拡大に伴って、練習すらできなかった各校の選手たちにとって忘れることのできない夏の始まりです。
抽選会の模様
竹原市内
竹原高校グラウンドに集まる人々
ベンチの迫田穆成監督
抽選日の前日、雨の竹原。その町中に金属バットの打球音が響きました。竹原高校のグラウンドには町の人たちが次々に訪れ、遠くから見守っている姿も確認できました。
如水館高校を8度も甲子園に導いた迫田穆成監督が、竹原高校のグラウンドに立ったのは昨年6月のことでした。当時の部員わずか11名。
それから1年後の5月20日、夏の甲子園大会と広島予選の中止を聞いた迫田穆成監督はラインで選手たちにそのことを告げました。幸いにしてそのあと、広島県独自の大会の開催が認められ、迫田穆成監督の教えを受けた初代メンバーの2、3年生は、その力量を試す舞台に立つことになったのです。
迫田穆成監督は独自大会への備えとして、すぐにある高校野球関係者に連絡を入れました。
ほかでもない、その相手は広島新庄を率いて甲子園に3度出場した迫田守昭前監督でした。
県内トップレベルの広島新庄と竹原のダブルヘッダーがグラウンドで行われる…町の人たちにとってはビッグニュース!悪天候の中「これまでの何倍もの見学者が来ました」と父兄会関係者。「町に元気を!」という迫田穆成監督の思いは現実になりつつあります。
ネット裏の迫田守昭さん
そして注目の第1試合。
県内トップレベルの相手に竹原はベストメンバーで臨みました。
ショート中川桐貴(3年)
レフト中川来貴(3年)
ファースト藤井龍志郎(1年)
セカンド平重三太(3年)
センター和気蒼汰(2年)
キャッチャー吉本陸翔(1年)
ショート尾崎隼人(3年)
ピッチャー吉本勇輝(2年)
サード中島悠真(2年)
第1試合、中盤で広島新庄はスコアボードに「0」が並ぶが…
テントは”ファン”で満席
吉本選手
吉本選手の内角球のさばき
やはり1年で中軸を打つ藤井龍志郎選手
ブルペンの広島新庄バッテリー
新庄ベンチの宇多村聡監督
1年生ふたりは、この春から”改装オープン”した雄光寮に暮らしています。コロナの影響で広島市内に戻っていたふたりですが、練習再開と同時に寮生活を再開させました。
大事なキャッチャーを任される吉本選手のお父さんもまた迫田穆成監督の下で野球を学びました。あの西武の森友哉捕手を思わせる豪快なバッティング。目指しているスケールの大きさはこれからの竹原には欠かせません。
一方、わざわざマイクロバスで竹原に乗り込んできた広島新庄にとっても練習試合は貴重な戦力チェックの場です。迫田守昭監督からバトンを渡された宇多村聡監督と広島新庄ナインも特別な夏の広島王者を目指して全力プレーです。コロナの影響でせっかく手にしていた春のセンバツ大会に出場できなかった思いもその胸に仕舞い込んでプレーします。
ベンチから大きな声を出す迫田穆成監督
第1試合、九回、広島新庄の猛攻が始まった…
迫田穆成監督の言葉に耳を傾ける竹原ナイン
第1試合。序盤3回で7点の広島新庄の攻撃を竹原が止めにかかります。しかし七回には6点、九回には10点を失い23対0でゲームセット。アウトひとつを奪うことの大切さをここでも竹原ナインは学ぶことになりました。
第2試合は21対1。ノーヒットだった第1戦から一転、竹原打線はヒット5本を放ちました。
寮に戻った1年生ふたりにこの日の感想をじっくり尋ねる予定でしたが、すぐに布団に入ってしまいました。
無理もありません。ともにフル出場。藤井選手はマウンドにも上がりました。
試合後、迫田穆成監督は「新庄さんはボールボーイまで連れてきていました。ありがたいことです」と、この日の練習試合実現に向けて多くの助けがあったことに頭を下げていました。
竹原の初戦の相手は広島観音(7月12日やまなみ三原市民)、広島新庄の相手は広島工大高(7月11日みよし運動公園)に決まりました。
スポーツでもっと幸せな広島へ…
広島新庄とのダブルヘッダーについて寮生ふたりの「レポート」が2日後、寄せられました。
「まず、甲子園に出られる強豪校と試合ができたことが嬉しかったです。ヒットは打てませんでしたが、甲子園に出られる投手と対戦でき、とても良い経験になりました。それに新庄高校さんの動きの速さが勉強になりました。これからも、もっともっと練習してチームのために打って守れる選手になりたいです」(吉本陸翔)
「新庄の選手はプレー以外でもみんなテキパキと動いていた。(グラウンド整備など)自分達とはグラウンドでの動きの違いがあったので、甲子園に行く高校はやっぱ違うなと思いました。バッティングでも、みんな打球が速かったです。守備ではポジショニングが良かったので、外野に打った時全然抜ける気配がなかったです」(藤井龍志郎)
周囲の山々を背景にした、雨上がりの竹原高校のグラウンドにはいろいろな夢が散りばめられています。
広島スポーツ100年取材班
ホワイトボードには竹原が大切にしている言葉が…
※「川風の街、七色の光」は、戦前戦後を通じて広島の人々の生活に深く関わってきたスポーツのある風景を、この街の未来に繋げていくために”そのまま切り取って”残しておくひろスポ!連載コーナーです。
ひろスポ!関連記事
コロナに消えた夏の甲子園、竹原から夢舞台目指す3年生部員が迫田穆成監督に残した言葉…川風の街、七色の光#45(2020年5月21日掲載)
甲子園大会中止で高校野球広島の夏は来るか?マイバット持参の竹原部員とピカピカの選手寮、そして名将・迫田穆成監督の願い…(2020年5月29日掲載)
広島商、如水館で8度甲子園の名将、迫田穆成監督「竹原を数年で県内ベスト4へ…」の新たな戦い始まる…川風の街、七色の光#41(2019年8月21日掲載)