画像は中央公園芝生広場で賑やかに開催されるフリーメーケット、こうした海外では当たり前の風景を提供してくれる数少ない空間がなくなることを、広島市はどれだけ真剣に受け止めているか?
広島市は8月3日、新サッカースタジアム建設地の中央公園芝生広場で発掘調査のための準備を始めた。
芝生広場は南北140メートル、東西160メートルの範囲でフェンスで仕切られ、もう市民は誰も入れないし犬だって近寄りづらい。
コロナとの共存を模索する中、子どもたちや家族連れ、カップル、学生サークル、国際交流を進める団体などが、積極的に使用してきた芝生広場はもう使えない。
その告知はほとんどなされておらず、知らずに来た市民はガックリ肩を落とすことになる。すぐ東側には土の自由広場があるが、そこと芝生広場とではまったく環境が異なる。
芝生広場はまさに都会の中のオアシスだった。
広島市は基町地区の住民にはスタジアム建設場所の芝生広場移動については詳しく伝えてきたが、こと市民全体への説明はまったくもって不足していると言っていいだろう。
芝生広場ではこれまでもフリーマーケットや子どもたちを対象にしたイベントに使われてきた。
それがスタジアム建設によってどんなふうに変わっていくのか?
新たなものを創造すれば、失われるものが出てくるのは仕方ないことだ。ただし、何の前触れもなく立ち入りを禁ずるのと、予め市民にお別れの機会を設けたりするのとでは、市民ファーストの観点からすればまるで違ってくる。
ひとたび市民と芝生広場を分断する柵ができてしまったからには、もうあとは計画通りに作業を進めるだけ。
その過程で、昭和50年代以降、長らく市民らに憩いの空間を提供してきた広場のケヤキなどの巨木たちはぶった斬られることになる。
それらが声を上げることはないが、しかし木々の間から精霊たちの声が聴こえてこないか?
やがて丸坊主にされるその一帯のすぐ近くには被爆の惨禍から生き延びてきたクスノキも存在する。
そこは「平和の軸線」に沿った、広島だけの大切な空間の中にある。
お役所仕事をただ進めるだけでは済まされない時代の積み重ねがそこに宿ることをきちんと受け止めておかないと、広島から世界平和を訴える「waterside football park」(仮称・ひろスポ!)の完結はないだろう。
広スタ特命取材班
8月3日撮影、作業員が歩く奥の木々に赤い印が見える、伐採への赤紙、だ
画像奥の木陰は市民に愛される場所だった
伐採されて消える木陰から芝生広場北端を流れるせせらぎを撮影、こうなることはわかっていたから記録として4月に残しておいた
多国籍で交流する場を提供してきた芝生広場
フリマは大変な賑わいで、やはり多国籍だった…