画像は地下掘り下げ工事前の中央公園芝生広場、松井市長は「こういった遺跡があることを元々、知っておりました」という。それならなぜ、その場所にスタジアムを持ってこようとしたのか…根本的にはそこが問われる
広島市の松井市長は8月19日午前10時15分から定例会見を行った。
その中で、サッカースタジアム建設予定地の広島市中区、基町高層アパート群に隣接した中央公園広場を彫り込んだ際に発見された旧陸軍の輜重隊(しちょうたい)施設、被爆遺構について代表質問が出された。
この件では被爆者6団体や平和団体、専門家の間から保存を強く求める声が上がっており、それに対して広島市ではすでに17日、遺構の3カ所を切り取って移設する、と発表していた。
会見の中で松井市長は「保存」への姿勢を問われ次のように答えた。
「今回の発掘調査はあくまでサッカースタジアムの建設をしようという中で、その建設用地について、こういった遺跡があることを元々、知っておりましたので、その部分は広島の戦前の姿を伝承するということ、そういう視点に立って、建設と伝承を両立させるためにどうしようかとことで作業を進めているところです」
「引き続き平和の思いを国内外、海外に伝えていくための、発信力を持つものであると示せるような対応をしていきたいと思っていまして、そういう意味で着実に手当てしながらいきたいと思っております」
「従いましてサッカースタジアムの建設についても、改めて申し上げますけども、これまでの経緯を踏まえながら策定いたしましたサッカースタジアム建設の基本方針、公表しております。その中で早ければ令和6年、2024年にオープンできるように取り組むとしておりますので、スケジュールありきでないかと(記者が)言われるその言葉であるとすれば、まさにそのスケジュールは間違いありません。そしてこれを着実にしていかないといけないと思っています」
松井市長の発言の中に「こういった遺跡があることを元々、知っておりました」とある。
しかし、サッカースタジアム建設候補地に関して「広島みなと公園優位」を言い続けていた湯崎知事と松井市長が2016年の途中からその矛先を急に今の中央公園広場に向けた際、その地下に埋まる様々な文化的価値のある埋蔵物についてはまったく触れなかった。
と同時に、旧広島市民球場跡地での建設を求める市民やサンフレッチェ広島サポーターの声を抑えつつ、強行突破で「第3の候補地」(中央公園広場)に決めてしまったという過去がある。
「広島みなと公園」問題でまさにオウンゴール、となり、この件で今なお沈黙を続ける湯崎知事の方はと言えば、そののち旧陸軍被服支廠解体を”宣言”した結果、紆余曲折を経て、けっきょく「全棟保存」という180度違う結末に追い込まれた。(もちろん、それが大正解で、この件に関してはナイスゴール!)
平和に関する根本的な価値や、市民・県民の思いに寄り添う心、広島のツートップがことごとくこうして騒動を引き起こすのは、なにが原因なのだろうか?
ひろスタ特命取材班
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