画像は広島の空に羽を広げるエディオンピースウイング広島
2024年の日本の年明けは世界情勢同様、”激震”とともにスタートした。
被爆都市広島は2025年8月で被爆80年を迎える。
田辺一球|noteから「2024広島新風景、マツダスタジアム×エディオンピースウイング」の記事を流用する。
カープダイアリー第8483話「2024広島新風景、マツダスタジアム×エディオンピースウイング(2014年1月4日)
イギリス公共放送BBC。2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻開始では“開戦前”から現地の声を細かく伝えてきた。
一方、日本国内の新聞・放送メディアが、“タレント力”欲しさに長年見て見ぬフリをしてきた“ジャニーズ鬼畜事件“に関しても”忖度ジャパン“に風穴を開けた。
そんなBBCが2日午後5時47分ごろ羽田空港で発生した衝突炎上事故についても速報で伝え、発生から40分後には時系列でニュースサイトに記事をアップするタイムラインも立ち上げた。
その中で羽田空港に同時刻居合わせた男性の話として「地震と津波、そして今回の事故が起き、日本は非常に恐ろしい2024年の始まりとなった」というコメントを紹介した。
まったくそうだ。能登半島地震がなければいつもと同じ正月だったから輪島の朝市が焼け落ちることもなかったし、大型エアバス機が炎に包まれ骨組みだけになることもなかった。
地震と津波による被害の方は石川、富山、新潟の3県にまたがりまだ全容がつかめていない。
今回の大規模災害について、複数の専門家は忸怩たる思いでいるようだ。対策を進めていればもっと被害を抑えることができたはずだ、という声があちらこちらから上がっている。こういう状況は珍しい。国や関係機関への忖度なしの発言をするのは勇気のいることだ。
登半島地震は2007年にもあった。様々な状況から今回のようなクライシスが予想されていた。準備を怠ったツケは計り知れないものとなった。
国と自治体と関係各所が連携して、住民の防災意識を高め、住民が主体的に防災対策と向き合い、助成金も含めて各セクションで後押しする。そういう取組みを進めるための時間が十分にあったのに、それをしてこなかった。
「東京の終戦の焼け野原みたい…」思わず地元の女性がつぶやいた輪島朝市地区火災では、延焼を防ぐような二重、三重の対策が講じられていれば延焼は食い止められたはずだ。
木造建築が密集する日本の居住地域や商業地域は火に弱い。前日3日午後3時ごろに火の手が上がった北九州市小倉北区の「鳥町食堂街」も、まだ燃え続けている。仮に年末年始のウクライナのように、国内にミサイルが頻繁に飛んでくる事態に直面したならば、もう手の施しようはない、ということになる。
この日、広島市中区のホテルでは広島商工会議所の新年互例会があった。コロナ禍を乗り越え、4年ぶりの通常開催となったことで、およそ1170人が出席した。
地元メディアも記者やアナウンサーを投入して、地域のトップリーダーたちにマイクを向ける。
松田元オーナーの後継者として、公の場に出る機会が増えてきた松田一宏オーナー代行はカメラの前でこう話した。
「いろんなニュースが年明けにありましたけど、スポーツにできることといったらやっぱり地域を元気にしていくことだと思っていますので、みんなで力を合わせて広島に元気をもたらせるようなことができれば、いい1年になるんじゃないかと思っています」
「キャッチフレーズではないですけども、よっしゃ、よっしゃ、と地域の人たちに言ってもらえるような1年になればいいなと思います」
サンフレッチェ広島の仙田信吾社長はフリップにマジックで「翼を大きく広げて広島を元気に」と記した。その上で、2月稼働のエディオンピースウイング広島を新たな舞台装置として飛躍する夢を語った。
「サッカー王国広島を象徴するような、全国から注目されるスタジアムになっていきます。我々はこれを中核にして、広島をどんどん元気にしてきたい」
ただ、広島プロスポーツ界のトップ2の口から「防災」についてどれほどのことが語られたのかは定かではない。
JR広島駅から東へおよそ600メートルの、かつての貨物ヤード跡地にあるマツダスタジアム地下には「大州雨水貯留池」があり、被災地への救援物資も備蓄されている。広域避難場所にも指定されている。
マツダスタジアムは、市内を流れる6本の川の中で一番東寄りの猿猴側東岸から徒歩数分のところにある。
エディオンピースウイング広島はその逆で、市内の川の中では西から数えて2番目の本川東岸に位置する。市内デルタ地域の西側をカバーする形だ。
もともと建設場所の基町広場が防災機能を有していたこともあり、その構想段階から防災には重点が置かれてきた。その名にあるように「ウイング」イコール「屋根」がスタジアムのシルエットを特徴づけいるわけだが、これは見た目だけを追求したものではない。全席が屋根で覆われているから避難者が押し寄せてきてもスタンドだけで数万人の受け入れが可能となる。雨が降ってきてもしのぐことができるし、真夏の陽射しから逃れることもできる。
ただ、もしも市内デルタ地域が震度7の地震に襲われたなら“三角州”の名の通り、今回の能登半島地震でも見られるような液状化が至るところで発生するだろう。地名に「大州」とあるように「州」の上に建つマツダスタジアムも万全ではないかもしれない。
市内の東西ルートをいくつも形成する橋が段差やズレ、崩落などによって通行不可能になることも考えられる。
広島県民の心の支えとなっているカープやサンフレッチェ広島にはいざという時、地域住民や市民らを物心両面で支える役割も期待されている。
だが、関係各所が連携してどれほどの防災対策が進められているのか、は市民の目にはなかなか見えてこない。
昨今の広島は、ご多分に漏れず頻繁に大雨や土砂災害に頻繁に見舞われるようになった。マツダスタジアムから車で西へ2、3分のところにある南消防署では、ある大雨の日に目の前の道が水没して緊急出動に手間取った過去がある。
今回の輪島市の火災でも、消火栓は断水ですべてが使えず、消防隊は近くの河原田川からポンプで水を吸い上げようとしたが「ヘドロのようなもの」しか吸い上げることができなかった。引きの津波が川の水をさらっていったのだ。
被爆後の廃墟の街から蘇り、水と緑の街となった広島は2025年8月で被爆80年を迎える。マツダスタジアムとエディオンピースウイング広島。この先被爆100年、150年となってもなお、ふたつのスタジアムは「広島の元気」を創造する空間であり続けることになる。