画像は広島女医学院大学
広島女学院、大学運営撤退
定員割れ経営難 YICが継承へ
きょう3月18日付の中国新聞一面の見出しだ。
…そんなことはとっくに分かっていた。
1990年以降、広島女学院大学は片っ端からキャンパス内ハード面の”更新”を進めた。食堂なんて、とってもワンダフル!
キャンパスの主要動線に沿って清流が流れ、牛田山の斜面をうまく活用しながら数多くの施設が点在するレイアウトは秀逸で、おそらく相当の価値があるランドスケープを構成している。春は桜、夏は昆虫採集、秋は学園祭、冬の雪景色もステキだ。
地元の人たちからも愛される独自の佇まいを見せる「若葉寮」は知られた存在だった。が、この貴重な建築物すらも2004年には解体された。今は地元住民も利用できる図書館が建っている。
こうしたハード面の整備と反比例するように、学生の数は減り、活気が失われていった。かつては大学祭など、地元との交流の場は大いに盛り上がっていたし、広大なグラウンドではラクロス部などが活動していたが、そうした熱気も2000年代以降、徐々に薄れていった。
近い将来、危機的状況が訪れるであろうことは、おそらく誰の目にも明らかだったはずだ。それなのに2014年秋には元会計担当者の1億円使途不明金事件が明らかになった。
そんな調子で大学運営をやっていると、待っているのは負のスパイラル…キャンパスまで徒歩や自転車で山道を通う学生は少なくないが、その姿を見ただけでもう学生レベルの著しい低下が見て取れた。ここ数年は特に、だ。
今回の中国新聞記事では、新入生の定員充足率が20年度は94・5パーセントだったのに23年度には50・9パーセント、24年度は41。2パーセントとなっていたことが報じられている。
この極端な右肩下がりようは大学側がダンマリを決め込みつつ、学校経営から足を洗おうとしていたことの表れだろう。
たまたまYICグループという”救世主”が現れたから良かったものの、そうでなければとんでもないことになっていた。
湯崎英彦知事の無責任体質と無能さが大いに関係して転出超過全国ワースト県に成り下がったこの広島だから、大学ひとつがつぶれることは大きなダメージになる。
戦前戦後の教育県・広島が、どうしてこうもダメになったのか?
広島スポ―ツ100年を振り返っても、広島県の教育レベルの高さ、教育に携わる人材の多さ、多様さ、質の高さが「スポーツ王国広島」につながった。
ひろスポ!広島スポーツ100年取材班では、今回の広島女学院大学問題を入口として、広島の心臓部であるJR広島駅から牛田山にかけてのエリアにスポットを当てる。(田辺一球)