広島の緒方孝市新監督が10月15日、正式会見に臨んだ。1975年、10月15日は”カープ記念日”。広島が初のリーグ優勝を遂げた日で縁起がいい。
当時の打線は広島人なら今でもみんな覚えている。
一番セカンド・大下、二番ショート・三村、三番ファースト・ホプキンス、四番センター・山本浩二…。
1968年12月生まれの緒方新監督がまだ7歳の時の話だ。
会見の中で緒方新監督は「3位で終わった悔しさを来年はリーグ優勝、日本一という形に変えたい」とはっきり言った。
それは単に”意気込み”という意味ではないだろう。チームをここまで綿密に精査する時間を与えられ”合理的”な結論として導いたに違いない。
野村前監督と緒方新監督の”似て非なるもの”についてはすでに記した。
予想通り緒方新監督は会見の中でこんな話をした。
「現役時代からたくさんの監督に指導していただき、自分の中では三村監督。現役時代ほめられたことはほとんどなかったし怒られてばかりでしたが、ただその中でも野球を本当にしっかり教えてもらいました。三村さんが辞める時に”いい選手になったな”と…。最後のその言葉が自分の中では一番印象に残っています。理想は、と言われれば三村さんの監督像が一番頭に残っています」
超二流のススメの「極意」は「自分の特性をその集団で最も活かすためにはどうあるべきか?」にある。
今の広島にはセ・リーグ本塁打王や、セ・リーグ最高出塁率に「毛」差で届かなかったり、最多安打にわずかに及ばなかったような一、二番、クリーンアップ適任者が大勢いる。
投手も仮に前田健太がそのまま残留すればセ・リーグトップクラスの編成が可能になる。
「マンツーマンでの会話やコミュニケーションをしっかりやっていきたい」
野村前監督時代に若手もベテランも一番の悩みどころになっていた「コミュニケーション」という言葉を久しぶりに聞いた監督会見は、最後は報道陣から笑いも起こる中、明るく締めくくられた。