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2015年02月20日
編集部

広島の大規模土砂災害からちょうど半年、被災地を訪問した黒田博樹はユニホームを脱いでもやはり黒田博樹だった

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権現山の被害
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広島市安佐北区の”今”。災害発生後。手つかずの場所が多く残り二次災害の危険と隣り合わせとなっている、と同時に被災した市民の暮らしの不安や心の傷の深さは時間の経過とともにますます深刻化している。

TBS「NEW23」が2月19日、黒田博樹の特集をオンエアした。

この日から沖縄キャンプで黒田の単独取材が解禁になり、昨年現役を引退した広島OB・横山竜士氏のいるTBS系の中国放送がテレビインタビュー一番手の座を射止めた。

8年前までいっしょに広島投手陣を引っ張っていたふたつ年下の後輩に敬意を表して…、というところがいかにも黒田らしい。しかし、黒田の”やさしさ”の本質の部分は「NEWS23」のオンエアの中で明かされた。

昨年10月、シーズンオフになってすぐに帰国した黒田は、その足で大規模土砂災害の現場に直行し、被災された住民のひとたちの中に飛び込んだ。

その時の一枚の写真が特集VTRの中で紹介されたのである。

被災地に足を運んだ理由について黒田は「自分が行くことで一瞬でも気が紛れれば…」とコメントし「アメリカに行って自分の小ささも感じていましたし…」と付け加えた。

東日本大震災の時にも黒田は真っ先に多額の義援金を送ることを表明した。昨年8月にもすぐに被災地に向け義援金を送った。しかし、直接被災地に出向き、ともに汗を流す、という選択を何のためらいもなく行うとは…。

被災地の現状は想像以上に厳しいもので、行政側の支援や復旧・復興策・長期ビジョンに対して地元住民からは疑問や不満の声が相次いでいる。被災した市民の多くは不安を抱えながら、災害発生から半年となる2月20日を迎えている。

例え自分自身や自宅は軽微な被害に済んだケースでも、住み慣れた街の惨状や近所づきあいした人々の死亡、転出などにより心に深い傷を負う例も山のようにある、という。

気分がすぐれない、耳が聞こえなくなった、やる気がしないが生きていくために何とかがんばっている。そんな声があちこちからあがっている。

自宅が流されたり使いものにならなくなった世帯は300近くにのぼり、万の単位の市民が何等かの被害により離職、転職、転出、多額の借金、生活設計の変更を余儀なくされている。

広島県、広島市の被災地への対応と市民ニーズがなかなか一致しない現状がある。

もちろん黒田は現地の詳細な状況については知る由もない。「アメリカにいたので詳しいことはわからなかった」。そして「映像だけで分からないので自分が行くことで…」という思いに駆られたという。

個々の選手の行動までは不明だが、カープナインが同様の立場で現地を訪れ被災地の人たちと交流した、というニュースはまだ聞いたことがない。

2004年、球界再編の嵐が吹き荒れたあと、広島には黒田選手会長が誕生した。

2005年オフ、地元放送局から「正月番組」出演を依頼された黒田は「バライティ系なら若い選手に譲って欲しい、子どもたちの夢をかなえる番組なら協力する」と答えたという。

けっきょく同年オフ、黒田は瀬戸内海に浮かぶ島の小学生を尋ね、子供たちと白球を追いかける、というドキュメンタリー番組の”主演”をやってのけた。15勝をあげ最多勝のタイトルを取り、休養最優先だったその時期に、である。

黒田博樹は海を渡る前も、メジャーでその剛腕の輝きを知らしめたあとも、そして背番号15の赤いユニホームでいると時もそうでない時も、
やはり黒田博樹…、なのである。

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黒田博樹のこれまで、と、これからがカープナインの365日とともにわかる、
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