「感謝の集い」で記念写真に収まる佐古賢一ヘッドコーチ(右から二人目)佐古ヘッドコーチの右隣りは山坂哲郎広島ドラゴンフライズ後援会会長、左隣りは林正夫県議会議員、左端は広島ドラゴンフライズの福岡愼二会長(トップ画像説明)
広島ドラゴンフライズの佐古賢一ヘッドコーチが5月30日、退団を発表して関係者やファンに別れを告げた。事前にクラブ側からの発表はなかった。
イベントには全13選手も揃って参加したが、佐古ヘッドコーチを慕って広島に来た朝山正悟キャプテンらは涙をこらえることができなかった。
広島ドラゴンフライズはこの日、広島市中区のホテルで「広島ドラゴンフライズ2016-17シーズン感謝の集い」を開催。クラブを支えるパートナーや後援会関係者、シーズンチケットホルダーのファンらが一堂に会し、選手と触れ合う場が設けられた。
広島市の松井市長、広島商工会議所の深山会頭らも招かれて、「来季こそB1へ」の声があちこちで聞かれ盛り上がったところで、最後に檀上に上がった佐古賢一ヘッドコーチが自身の口で「退団」を発表。会場からは驚きの声が上がった。
広島に単身、乗り込みチームをゼロから育て上げてきた佐古ヘッドコーチは「3年という区切りで結果を出したかった」と2日前の入替戦(東京国立代々木競技場第一体育館)で横浜ビー・コルセアーズに敗れたことを悔いた。
また「選手に責任はない」としてB1昇格が失敗に終わった責任を背負いこむと同時に「最初から決めていたこと」と3シーズンを全力で走り抜けてきたことを強調、広島での挑戦を支えてくれたすべての人々に感謝の気持ちを示し、広島に別れを告げた。
佐古賢一ヘッドコーチの檀上でのあいさつ
今シーズン、選手は全力を出してくれたと思っています。3年間、ドラゴンフライズのコーチをしてきて、今シーズン、我々、ドラゴンフライズの選手はかなり飛躍したと思います。人生の大事な岐路だったと思います。多分ですけど、これほどの苦しさのある生活を一カ月半…、負けられない、いろいろな期待を背負って戦った一カ月半というのは、来季に向け、またこれからの人生においてすごく大事な経験だったと思います。
今シーズン、自分がまあ、好きに作ったチームで戦いました。先日もすべて、自分の思い通りにやらさせていただきました。しかし、結果が出なかったということに関しては選手の責任はいっさいありません。責任はすべて自分にあると思っています。
ドラゴンフライズの会社の方々、関係者の方々、サポートしていただいている方々に、多大なる覚悟をしていただき、一年間僕らは思う存分やりました。しかし結果が出なかったことに関して、自分は言い訳をしたくない。
すべては自分の責任ですし、今回、この(クラブのキャッチフレーズの)最大の挑戦、この言葉も実は自分が最初に声を上げた言葉です。僕にとっても最大の挑戦でありました。人生初の戦い、やりました。入替戦、エキストラゲーム。島根との試合、またこれも自分の責任で負けましたが、いい経験をさせていただきました。
この3年間、自分を成長させていただくのに皆様の力を借りました。また、選手のパワーを頂いて、家族の支えもあったと思います。
これから選手は来季、がんばらなくてはなりません。
しかし自分はドラゴンフライズが発足した初年度から、3年という、ここもひとつの区切りとして広島に足を運びました。どうしても今シーズン選手のためにも。支えいただいているみなさんのためにも、結果を出したかった!これは嘘偽りありません。その覚悟をもって僕も戦いました。
しかし、自分の力不足によりいろんな方に、またいろんな方を巻き込むことになりました。
広島は最後、横浜とやりましたがあんなに点数が離れるようなポテンシャルのチームだとは思っておりません。しかし、僕は最後まで選手を信じて精いっぱいやりました。今の自分の力はあそこまでです。
今シーズンをもって広島ドラゴンフライズを退団し、また自分も新たな一歩を踏み出したいと思っております。
3年間、また今シーズンこんなにたくさんの方々に支えていただき自分はほんとに幸せな3年間でした。会社に、またチームに何の不満もありません。できれば、ミスターバスケットでなければ、広島に、この環境に甘えたいぐらいです。
しかし自分は佐古賢一を演じなくてはいけない。自分のケジメは自分でつけさせていただきたい。そういうこともありまして、本日、オーナー、社長、坂本専務…にはわがままを言わせていただきました。
広島ドラゴンフライズ、これからまた5年、10年、100年という歴史が必ず続くと思います。
この歴史の3年間、ヘッドコーチとして携わらせていただき、本当に人間としても成長できましたし、みなさんの愛情をたくさんいただきました。3年間、本当にありがとうございました。来年も広島ドラゴンフライズの歴史はどんどん進んでいきます。
もう今のドラゴンフライズにいる選手たち、保護者がいなくても十分戦っていけます。
このあと、編成があると思いますけど、自分は一生広島を応援しています。みなさん、これからもドラゴンフライズを支えていただき、また叱咤激励していただけたら、自分もこの3年間いろいろなものを犠牲にしてやった甲斐があると思います。
ぜひ、来季からもドラゴンフライズを応援していただいて、自分もまたチャンスがあれば、ひと周りもふた周りも成長して帰ってくることがあれば、よろしくお願いします。
きょう感謝の集いのこの大事な場でひとこと、しゃべらせていただきありがとうございました。自分の3年間は最高の3年間でした!この自分のわがままに選手、関係者、スポンサーの方々、みんなを巻き込みましたが、ほんとにありがとうございました。これからも広島ドラゴンフライズをよろしくお願い致します。また佐古賢一も新たに一歩を踏み出そうと思っています。ありがとうございました。
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