サンフレッチェ広島「感謝の夕べ」(12月4日)で記念撮影に応じる柏好文選手、そのクロスはJ1の舞台で大きな武器だが、その訓えはヴァンフォーレ甲府時代、城福監督にさかのぼる(トップ画像説明)
サンフレッチェ広島の新監督に城福浩氏が就任することが確実になった。
城福氏は1961年3月生まれの56歳。徳島県出身。早稲田大学卒。
1983年川崎フロンターレの前身である富士通に入社して同社サッカー部で主にミッドフィールダーとしてプレーした。Jリーガーの経験はない。1995年には富士通川崎フットボールクラブ監督に就任した。
翌1996年秋、チームはJリーグ参入を表明した。城福氏社業に復帰する道を選びサッカーと離れたが1998年には富士士を退社、FC東京の設立準備組織に参画し、FC東京で育成部門の統括に就く。さらに日本サッカー協会に出向して主に若年層の指導に当たった。
2005年よりU-15(後にU-16、U-17)代表監督に就任。2006年のAFC U-17選手権で優勝してU-17ワールドカップに進んだが1次リーグで敗退した。
FC東京では2008年、ついにトップチーム監督に就任。「ムービングフットボール」を掲げ、パスを繋ぎボール保持率を高めるスタイルでJ16位と結果を出した。
2009年はJ1で5位、ナビスコ杯(現ルヴァン杯)優勝の初タイトル。
2010年は故障者も多く、チーム不振で9月に解任された。チームは16位に終わりJ2降格。
2012年、城福氏はヴァンフォーレ甲府の監督に就任するとリーグ戦24試合不敗のJ2記録を作った。この年、J2優勝とJ1昇格で結果を出した。
2013年は前半、苦戦を強いられると夏場の中断期間に「繋いで攻撃するスタイル」から「カウンターサッカー」へとスタイルを一変させた。その結果、何とか15位に止まりJ2降格を回避できた。2012年のJ1昇格とこの年のJ1残留に貢献したMF柏好文は城福監督の下で成長を遂げサンフレッチェ広島へ完全移籍した。
2014年はクラブ最高の13位。城福監督は契約を延長せず退団した。
2016年、再びオファーのあったFC東京で指揮を執り、セカンドチームの人材強化とトップ強化の両面で手腕を発揮することが期待された。が、結果は、1stステージ9位。2ndステージでも成績が伸び悩み、7月末で解任された。監督としての成績はこの年、7勝5分け10敗。チームの最終成績は通年で13位だった。
関係者の間では「ヴァンフォーレ甲府での後半戦、カウンターサッカーに切り替えたあの決断には驚かされた」、「あのFC東京が再登板を希望したことからもその指導力は高く評価されている、代表入りした米本拓司、梶山陽平らを育てた」、「風間監督らに近い、人もボールも動くサッカーでファンを魅了する要素は備えている」、「ていねいに中盤から繋いでフィニッシュ!フロンターレのサッカーになるだろう」などの声が上がっている。
一方で「F東、甲府の監督を務めて、年齢的に見てそろそろJの現場は終わった感あり」の声もある。確かにJリーグの日本人監督は40歳台、もしくは50歳台前半となっており、トレンドは元Jリーガー監督だ。
広島がその集大成になる、との”決断”があったとすれば、クラブ側が求めているとおり、ユースチーム、セカンドチームも含めたトータルでの強化策が急がれる。
「城福監督には、サッカーは靴一足分で決まる、プレッシャーをかけるために靴一足分寄せろ!とずっと言われていました」と、その訓えを大切にしてクロスを上げ続けるMF柏好文のような人材を、この先どれほど輩出していけるのか?
その手腕は、コーチ陣も入れ替わる就任1年目からの結果でいきなり試されることになる。
サンフレッチェ広島取材班
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