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2015年10月11日
編集部

”金本”阪神誕生なら、ますます負けられない広島・緒方監督、ともに故・三村敏之氏の門下生

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阪神が次期監督候補、金本知憲氏の招聘に向け、オール阪神で臨む構えを崩さないでいる。

阪神で「アニキ」として一時代を築いたとはいえ、生え抜きではない金本氏が球団再建のためにこれだけ熱いラブコールを受けるのは異例の事態…とも言える。

そして仮に金本氏が阪神の監督を引き受けたとするならば、それは広島の緒方監督にとってますます”大きな試練”、となる可能性が高い。

金本氏は1991年、ドラフト4位で広島に入団した。

「一浪して年もひとつ大かったし、すでに同じ左打ちの前田がレギュラーで、自分の出番はないと思った」と金本氏は当時の立場を振り返る。

「マシンを打つ時間させろくにもらえない。3年やってダメなら諦めよう。でもやることをやらないで辞めるのは悔いが残る。上背は伸びないが幅なら変えられる。肉体を鍛え、そしてまずは打てるコースに来た真っ直ぐを確実に仕留めること…。あの時、そうシンプルにやったのが良かった。アレコレ手を出していたらダメになったいた」(金本氏)

入団4年目の1995年、三村監督2年目のシーズンに初めて規定打席に到達した金本氏は2000年、それまでの「四番江藤」がFA移籍で抜けた穴を埋め、四番を打ち、そしてトリプルスリーを達成した。

…にもかかわらず2002年オフ、FA残留は認めない、という球団の方針とぶつかり、当時の阪神・星野仙一監督からのラブコールに移籍を決意した。(広島のFA残留を認めない方針はその後、撤回)

一方の緒方監督は1986年ドラフト3位で広島へ。高卒で時間はかかったが、同じく三村監督の時代の1996年、初めて規定打席に達し、そして外野のレギュラーの座をつかんだ。背番号も三村監督の現役時代の9に変わった。

要するに金本氏も緒方監督も、ともに三村監督にその能力を引き出され、一流選手の仲間入りをした、ということになる。

2009年11月3日、広島市内であった三村敏之氏の葬儀告別式では金本氏がお別れのあいさつをした。

金本氏が中学生の時に受けもった女性教師は「そのころから男気があって、友達がみんな彼のところに集まっていた」と懐かしげに語っている。

仮に阪神・金本監督が誕生したとするならば、おそらくそうそうたる顔ぶれがその周囲を固めるだろう。

そして金本阪神は、古巣広島を全力で叩きにかかってくる。受けて立つ緒方監督は、まずはファンの大ブーイングに抗うだけの、確固たる野球スタイルの構築からリ・スタートする姿勢が求められている。

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