2014年の年の瀬に日本中を沸かせた黒田博樹投手、しかし今回が初めてではない。2006年11月に「広島残留」を宣言(画像はその会見の模様)した時も広島ファンは大興奮…、だった。
黒田博樹投手が来年2月、広島に帰ってきます。「帰ってきたウルトラマン」のようです。帰ってくるぞ…、帰ってくるぞ…。
ところで「メジャーリーガー黒田博樹」の情報ならご存知のカープ女子のみなさん、かつての「広島のエース、黒田博樹」の情報はどれほどご存じなのでしょうか?
黒田投手がマツダスタジアムのマウンドに立つ日、それまでにある程度の「知識」を身に着けておかなければいけないかも?
…ということでひろスポ!では「広島のエース黒田博樹」の横顔を緊急連載します。
「広島のエース黒田博樹の素顔」第1回
黒田博樹が黒田博樹でありあり続けるために
広島県民にとって、全国のカープファンにとって忘れられない瞬間だった。500カ所以上にファンの心の叫びを記した「15」番の大旗を自ら広げて黒田は済みきった表情で言った。
「最終的には僕が他球団のユニホームを着て、カープファンやカープの選手を相手に投げるのが想像つかなかったのがこうなった(FA宣言せず広島に残留)原因です」
黒田FA移籍、の先走り新聞報道があったにせよ、大方の予想を覆す2006年11・6残留宣言になった。そして最終的な判断材料に「ファン」を挙げた。そんな黒田に「ファンとの協調」をどうするか直接、聞いた。
「全国には12しかプロ野球はないんです。その中のひとつが広島県にある。僕も県民、市民です。住んでいる土地に球団があるのはすごいこと。僕自身がカープの大きさを感じています。そして僕らのやるべきことも」
「もう一回、選手も考えを改めて強くならないといけない。ファンの人の力は大きい。スタンドを見れば選手は燃えます。ファンの人はもっと選手に訴えて欲しいと思う。(残留の決め手となった2006年10月14日と16日の旧広島市民球場のスタンド風景は)想像を超えていた。正直に言えばガラガラの試合もあるけど集まる時には集まるんです。パワーを感じます。みんなカープが好きなんだ、と…」
話の途中あたりから黒田の思いがよく伝わってきた。
現在の家族のこと、自身の未来のこと、金銭面ほかプレーヤーとしての諸条件のこと、そしてその「剛腕」を振り抜くにふさわしいモチベーション。でも、けっきょく黒田は10年の歳月とともにこの街の人になっていた。人生の3分の1をすでに過ごした川と緑と赤ヘルの街。日本球界の最高峰に君臨するような立場になれたのもこの街ととに、ということなのだろう。
2006年シーズン開幕を控えたある日、小さな女の子が黒田に声をかけた。
「広島に残ってくださいね」
「それはわからないよ」
真顔で答える黒田の実直性は持ち味の快速球にシンクロする。モノの考え方においても黒田は「変化球」を多投しない。
9月、右肘の違和感を訴える黒田は一気にFA騒動に引き込まれていった。しかし、報道陣に囲まれるたびに黒田はその思いをとつとつと伝えてきた。そしてファンへのメッセージも忘れなかった。
「報道ではファンのみなさんが(広島残留を願い)いろいろなことをすると聞いています。ありがたいことです」
鋼(はがね)の右腕を持つ広島の背番号15は最後まで自然体でFA移籍騒動と向かい合った。そしてファンから手渡された大応援旗を自宅に持ち帰り、その向こうに多くのファンがいてくれることを実感した。
ファンの声がエースの心に届き、黒田はひとつの「決断」に至った。
2007年もまた赤く染まったスタンドを背に剛腕がうなりをあげる。
※参考文献
「CARP2006-07永久保存版」(田辺一球著、発行所スポーツコミュニケーションズ・ウエスト」(定価1200円、税込み)
2006年シーズンに活躍した黒田博樹、新井貴浩、前田智徳らの365日をまとめたムック本で「黒田博樹・激動と闘魂の06年」という特集も組まれている。
同書はすでに全国の書店から引き上げられており、注文できるのはインターネットでのみ。興味のある方はコチラ。2004年シーズンから2013年シーズンまでの全10冊が揃う。