黒田が走者を背負っても簡単に失点しないのには訳がある。強さと優しさ、その1球は並の打者では容易に打つことができない。
日米両球界での活躍と、市民、国民、弱者に寄り添うその「剛腕にして繊細かつ優しさあふれる」言動に際し、ここに黒田博樹投手に対してネット上でのバーチャル「国民栄誉賞」を贈ります。(広島スポーツWEBメディア・ひろスポ!)
広島の黒田博樹投手が一プロ野球選手としての存在を超越し、プロ野球にあまり関心のない人々からも大いに注目を集めている。ヤンキース田中将大投手はもちろんのこと、メジャーリーガーたちからも多くのリアクションがある。
「20億円を蹴って広島に帰ってきた」ゆえに「男気がある」。
それだけでも十分凄いが黒田博樹の本当の魅力は「強さと優しさ」にある。
初めて公式戦で投げるマツダスタジアムで日米通算183勝目をあげたあと黒田は言った。
「今までプレッシャーのないマウンドを経験したことがない。今までとあまり変わらなかったと思います」
「あんまりそれに対してこだわりはない。どこのマウンドに上がるのも大変だし、結果をい出すのも大変ですから」
これら一連の発言は、かつてカープのエースとして活躍していたころと変わらない。本質的には黒田の投球に臨むスタイルはそのままだ。
ただメジャーでの7年間で「自分の視野が広がった」という通り、プロ野球選手として、全力でピッチングを続ける中で、グラウンドの外にも目を向けることが多くなった。
だから3・11東日本大震災の時も、国内プロ野球関係者より遥かに素早く義援金を申し出た。それは昨夏の8・20広島市大規模土砂災害の際も一緒だった。
昨年オフ、日本に戻ると黒田はすぐに被災地に足を向けた。一緒に瓦礫を片付けた。
最初はボランティアも地元住民も「体の大きい兄ちゃんが手伝ってくれとるのう」としか思っていなかった。誰も黒田博樹が来るとは思わない。
だが、さすがに途中で「黒田さんでしょ」という声があった。そしてみんなで記念撮影をした。
「メジャーで頑張って」という声をかけられた黒田が返したそのひとことにみな、耳を疑ったという。
「本当にがんばっているのはみなさんです」
この時のわずかの時間の出来事が以来、その地域の人たちのどれだけの心の支えになっていることか。
被災地の住民たちは今も大変な憤りの中にある。
広島市、県の杓子定規の対応と、住民ニーズとあまりにかけ離れた長期的な復興計画の提示には「疑問を通り越して強い怒りを感じる」(地元関係者)人たちが非常に多い。
物理的な要因や資金繰りなどの面で、できないものはできないし、無理難題を望んでいるわけではない。
一番の問題は、被災地の人たちの心の叫びや本当のニーズに真摯に耳を傾けようとしない行政担当者の、その一貫した「冷淡な」(地域住民)態度、ふるまいにあるという。
「あの日、以来耳がよく聞こえなくなった、雨音も怖い」
「自宅は床下に泥土が来ただけで済んだが知り合いは何人も亡くなり妻の様子がおかしくなったので仕事の持ち場を変えてもらった」
「何もやる気が起こらないし、日が経つほどに絶望感にさいなまれる」
そんな声が被災地のそこここにあふれている。広島市民でさえ、その実態をよく理解できていない。
だが、黒田はメジャーで「プロ野球選手とはどういう存在なのか?」「誰のおかげでプレーできるのか?」「投げることで何が変わっていくのか」を改めて学び、感じとった。
だから、誰に相談するともなく真っ先に自分を育ててくれた広島の、今一番大変な思いをしている人たちに寄り添った。
マウンド上ではその剛腕で相手をねじ伏せる強さを見せるが、そのハートは常に悩み、恐れ、そして勇気を振り絞り、ここまで183度の成果を得てきた。
「鋼」(はがね)の肉体は有しているがその「心」は普通の人とさほど変わらない。
ただ、広島の被災地で黒田が見聞きしたことと、「そんなに残っていない」プロ野球人としての球数は完全にシンクロし、ゆえにその1球を打つことは並の打者でとうてい容易ではない、ということになる。
※365日更新のカープ携帯サイト「田辺一球広島魂」より記事抜、加筆。黒田博樹投手のFA移籍より以前の動きまで、日付ごとすべて検索できる国内由一のカープ情報データバンク。
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