6月18日午後5時、旧広島市民球場跡地に人影はゼロ…
雨の広島、2015年6月18日。
もう、誰も覚えていないかもしれません。
でもこの日は、この街の特別な日として、ずっと先の子どもたちにも語り継がれていくべきかもしれません。
5年前のきょう、旧広島市民球場の解体が決まりました。
広島市議会建設委員会。
声をあげ続けた市民らが見守る中、委員長を除く8人による採決があり「旧市民球場跡地利用計画に基づく旧球場廃止条例案」は賛成5、反対3の賛成多数で可決されました。
解体中の広島市民球場、2010年11月6日、市民団体が本通りで行った「模擬住民投票」で球場解体への賛成票はわずか64、反対票は332に上った。
およそ4カ月後の10月10日、サンフレッチェ広島のペトロヴィチ監督(現浦和レッズ監督)が公の場で言いました。
「ナビスコ杯決勝に勝って、サッカー専用スタジアムを持つにふさわしいクラブであることをアピールしたい。野球場ほどきれいで立派でなくてもそれは構わない…」
11月3日、国立競技場。ジュビロ磐田とのナビスコ杯決勝に臨んだサンフレッチェ広島は残念ながら3-5のスコアで敗れ、優勝には手が届きませんでした。
しかしペトロヴィッチ監督からバトンを受けた森保監督が2012年、2013年とJ1リーグ2連覇の偉業達成…
そしてサンフレッチェ広島は今季もJ1優勝圏内で熱い戦いを続け広島市民県民、サポーターとともに、唯一無二の存在として子どもたちに夢を与え続けています。
紫の疾風が広島の街中に熱い「劇場空間」を創り出すことを願い、4月の広島市長選に立候補したサンフレッチェ広島前社長、小谷野薫氏。独自の選挙戦を展開した結果、市長の椅子には届きませんでした。
以来、「市民球場跡地への新サッカースタジアム建設構想」は完全にストップ。現在、行われている広島市議会の一般質問でも「球場跡地問題」「サッカースタジアム建設問題」についての発言予定はありません。
一方で「虚無な空間」で不定期に開催される任意の主催者によるイベントは紙屋町一帯への集客効果を図るにはほど遠いものがあるようです。
奇しくも同じ6月18日付の中国新聞朝刊には、紙屋町地下街「シャレオ4年ぶり赤字」や「空き区間増加」を見出しにした記事が掲載されています。
広島のお隣りの岡山一番街や博多、天神地下街で「テナント募集中」などという状況は見たことがありません。
それが100万都市広島の真ん中では今は当たり前。昨年9月には79区間のうちの1つだった空き区間が3月には6つに増え、地下街がシャッター通りになりつつあります。
5年前、「旧広島市民球場解体」を決めたのは市議会、イコール広島市民自身ということになります。
決めたからにはそのあといか知恵を絞り跡地とその周辺を地下も含めた空間として魅力あるものにしていくか…
スポーツでもっと幸せな広島へ…
次の5年はスポーツとともに戦前戦後を歩んできた広島にとって、半世紀に一度の特別な5年になります。
東京五輪開幕を告げるファンファーレ、その時、広島の子どもたちは、この人類最大のイベントにどんな形で関わることができるでしょうか?
国内外からの来訪者が増える8月を控えて、世界遺産・原爆ドームの目の前に広がる「虚無空間」…