広島がマツダスタジアムで開催された8月5日、6日の「ピースナイター」で阪神相手にともに2-8のスコアで連敗、チームの借金は後半戦最多の6になった。
特に今夜8月6日は胸に「PEACE」、背中に86番と「HIROSHIMA」の文字を縫い込んだ一日だけの統一ユニホームで臨んだが、マツダスタジアム近くに実家のあるルーキー薮田がプロ入り5度目の先発で早々と失点を重ねる苦しい展開となった。
広島市内ではこの日、戦後70年目を迎えて中区の平和記念公園で平和記念式典が執り行われ安倍晋三首相も参列した。
核廃絶や日本の戦争放棄に関して国内外からの耳目が集まる中、8月6日の広島を象徴するマツダスタジアムでの様子は夜のNHKニュースなどを通じても紹介された。そういう意味では、お立ち台にヒーローが呼ばれて2日連続3万人超え満員のスタンドとともに広島の今を噛みしめ、喜び合うようなシーンがあればもっとインパクトのある「ピースナイター」になっただろう。
ファンの間からは「せっかく2日とも来たのにこれでは残念過ぎる」「マエケンや黒田をこの2日に持ってくるなどやり方はいろいろあったはず」などの声があがっていた。
一方、この日たったひとりで「ピースナイター」に匹敵するものを残した選手もいる。かつての広島の主砲、栗原健太内野手だ。
3度の右肘手術を経て、今も二軍調整中。2013年5月5日に当時の野村監督から二軍降格を告げられて以来、一度も一軍の試合に出ていない。
それでも、いやそうだからこそ今年もまた8月6日に自身の思いを、みんなが読んでくれるブログにありのまま綴ってみた。2008年に初めて「原爆の日の思い」を記したことで様々な反響があった。それはやがてマツダスタジアム供用開始3年目にあたる2011年「8・6公式戦」53年ぶり地元開催へと繋がった。
どうして自分たちはこの広島でプロ野球選手として暮らしているのか?そのことを考えた場合、70年前の出来事は自分たちの今と未来に繋がっている。
「心だけは腐らせないように…」
今、自分が置かれている状況について今回、そう念押しした栗原はブログの中でこう続けている。
なんで僕がこの日にこんなことを書いたのか
70年前、家も思い出も生命も、
何もかも焼けてしまった街を、
また1から作り始めたのは何か、誰なのかを想像した時
それは絶望的な中、
心だけは腐らなかった人々の働き、気力だと思ったからです。
…そして「僕と比べるのは失礼であることは、承知してます」と付け加えた上で、新たな家族の誕生を喜び、その思いを胸に「心に実りを」と結んでもいる。
栗原健太オフィシャルブログ
ameblo.jp/kenta-kurihara/