カープグッズの元祖とも言うべき「1本」が広島市内で発見された。ひろスポ!「広島スポーツ100年」取材班が発見者の洋品店主人のもとを訪れ撮影したものが冒頭の画像。
紺色に近い青のペイントに「カープ後援會鉛筆」の金文字、さらには「ヨット鉛筆謹製」の金文字が確認できる。別の面には「山口政信」のサインも刻印されている。新チーム発足当初、内外野で活躍したカープOBで、ほかにも白石勝巳助監督・内野手のサイン入りのものもあったという。
7月、広島ホームテレビ人気番組、「鯉のはなシアター」で紹介されたカープ鉛筆。その番組を見た洋品店主人は記憶をたどりながら部屋にあった道具箱を探っていき、奇跡的にもまったく傷んでいない未使用の1本を発見した。
鉛筆にはヤスリが巻いてあり、貴重な1本はヤスリの芯として長らく保存されていたことになる。
洋品店主人はカープ球団の誕生と同じく昭和25年、1950年生まれ。
父親兄弟が戦後すぐに焼け野原となった市街地近くに店舗を構え、やがて古葉竹識内野手や森永勝也外野手の服も仕立てたというから、カープとの関係が深かったのだろう。洋品店主人は小学生のころ、このカープ鉛筆が「自宅にコロコロ」していたことをよく覚えている、とも話している。そして「父親に手を引かれて広島市民球場に行き、うどんなどおいしいものを食べたころが懐かしく思い出されます」とこの1本に思いを寄せる。
ところでカープ鉛筆とは何か?
カープがリーグ再編によってセ・リーグに加盟し新規参入したのが昭和25年(1950年)。今からちょうど65年前のことになるが、その2年目のシーズン、昭和26年(1951年)オフに生まれた「カープグッズ」第1号、というのが通説になっている。
2年連続最下位に終わったチームに危機感を抱いた石本秀一初代監督はこの年、12月に入ってもなお皆実高校グラウンド(現在の皆実高校と同じ広島市南区出汐)などでの強化練習をバッテリー陣に課していた。
そして練習が終わると、次に待っていたのがこのカープ鉛筆の販売だった。
現在の広島パルコ界隈に露店を出し、直接市民に販売された。名目上はカープ強化資金を集めだったが、球団の経営は厳しさを増すばかりで「強化」するより「存続」させることに全精力が注がれた時代だった。
値段は1ダース60円で1本5円の計算になる。
カープ鉛筆は市内の小学校を通じても各家庭などに広がっていった。クラスごとにカープ鉛筆の販売があり、こどもたちが集金して回った。前年に朝鮮戦争が勃発して景気は上向いていたとはいえ、満足にモノもカネもない時代だったが、カープのためならみな協力を惜しまなかった。
こうして相当数のカープ鉛筆が街中に散らばっていったが、これまでカープOBの間でさえ当時の話を語る者はいても現物を所持している、というケースは皆無だった。
それが今回、広島市内の洋服店の古い道具箱の中から発見された。当時、カープを応援する目的で発刊されていた「月刊広島カープ」も同時に見つかった。
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1本5円のカープ鉛筆の存在なしに、今のカープの隆盛はなかった、という見方もできる。
カープは翌27年(1953年)、シーズン残り4試合で勝率3割を確保した。開幕前、「勝率3割を切ったチームは合併」と決まっていた。最下位に沈んだ松竹は勝率3割に届かず、連盟規定により大洋に合併された。
たった1本の元祖カープグッズに込められた幾多のファンの思いと60有余年の歴史の重さ…。
戦後70年の広島で「カープ優勝!」の記事を記すなら、これ以上相応しい1本はない、というオチになるはずだったのだが…
ひろスポ!「広島スポーツ100年」取材班
参考文献
広島カープ昔話C裏話-じゃけえカープが好きなんよ-(トーク出版)
talk.shop-pro.jp/?pid=75253804
カープの過去、現在、未来に触れる携帯サイト「田辺一球広島魂」
スマホ版ikkyuu-t.com
通常携帯版 www.ikkyuu-t.info/i
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