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2015年10月29日
編集部

広島の新サッカースタジアム「造る気なし」かどうか、をこれまでの経緯から確認すると…

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夢スタジアム
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2012年9月、サッカースタジアム建設早期実現を目指す、「START FOR 夢スタジアム HIROSHIMA」発足、20万署名目指し活動開始した。県サッカー協会・サンフレッチェ広島後援会・サンフレッチェ広島の3者は2013年1月17日、369,638件の署名簿を広島市・広島県・商工会議所へ提出し、サッカースタジアム建設「早期実現」に向けた検討委員会の早期立ち上げを要請した。それからもう3年…、サッカースタジアムの「ス」の字も見当たらないのはどういう訳か???

 

マツダスタジアムが完成するまでにもおよそ20年を費やした。サッカースタジアムはもっと長期に渡り暗礁に乗り上げたままだ。

その一番の原因は広島市にある。

過去の経緯を見ていくと「本当に造る気あるのか?」ということが何度も繰り返されてきたことがわかる。比較的最近の新サッカースタジアム建設に関係する動きは次のとおり。

2005年3月
旧広島市民球場の建て替え問題で、政財界トップらで構成する新球場建設促進会議が「現在地建て替え」を本筋に、オプションとして「貨物ヤード跡地(現マツダスタジアム建設場所)」を決める。この会議の中でも、広島市の用意した「事業費比較」の資料の3案は、「現在地(基町)球場建て替え」、「球場を移設した場合の現在地新集客公園施設」並びに「同じく移設後の現在地サッカースタジアム建設案」。

2005年6月
秋葉市長が「促進会議の決定」を覆し貨物ヤード跡地への球場新設が事実上、決定。

2005年11月から2006年1月
市民や民間から球場跡地活用策を募集。市民の声377案の内訳は「観光賑わい施設」と「スポーツ文化施設」がそれぞれ3割、「平和発信機能」は4パーセント。

2009年4月
マツダスタジアム供用開始

2010年6月
旧広島市民球場解体が決まる

2011年4月
松井市長が初当選。「選挙公約」の中で「球場跡地は若者を中心とした賑わいの場に」。

2011年10月
広島市が選んだ委員22名による旧広島市民球場跡地委員会スタート。ただし、同委員会はこれまでに広島市に届いた「案の絞り込み」を行うのではなくサッカースタジアム建設案ほか「様々な案を議論・検証・評価し最終的には広島市が決める」(広島市担当者)というもの。

2012年2月
旧広島市民球場解体終了

2012年8月
話し合いなどに時間を費やすだけで一向に”光”が、見えてこない新サッカースタジアム問題で、県サッカー協会、サンフレッチェ広島、同後援会の3者が松井市長、湯崎知事、経済団体トップに「スタジアム建設要望書」を提出。もちろん、旧広島市民球場の解体を待ってのものだが、この時点では新サッカースタジアム建設場所については言及せず。

また同月、旧広島市民球場跡地委員会が「まとめ(案)」を発表。その内容は「主たる機能としては、本委員会で意見の大勢が推した文化芸術機能と緑地広場機能とする。さらに意見の分かれたスポーツ複合型機能についても、その有用性を主張する強い意見があったことを踏まえ、引き続き検討の対象にする。

2012年9月
サッカースタジアム建設早期実現を目指す「START FOR 夢スタジアム HIROSHIMA」発足、20万署名目指し活動開始。

2013年1月
県サッカー協会・サンフレッチェ広島後援会・サンフレッチェ広島の3者は、369,638件の署名簿を広島市・広島県・商工会議所へ提出し、サッカースタジアム建設「早期実現」に向けた検討委員会の早期立ち上げを要請。

ひろスポ!・新サッカースタジアム取材班

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