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2016年12月05日
編集部

リオデジャネイロ・パラリンピック銅メダリスト、ウィルチェアーラグビーの官野一彦選手、広島ビジネス倶楽部招聘で「初めての広島」を訪れ、自分を見つめ生きることについて語る

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官野一彦選手は講演後、記念撮影。リオデジャネイロ・パラリンピック、ウィルチェアーラグビー銅メダルを手にするのはサンフレッチェ広島の織田秀和 代表取締役社長

リオデジャネイロ・パラリンピックのウィルチェアーラグビーで銅メダルを獲得した官野一彦選手が12月4日、広島市中区のホテルで「車いすで世界に羽ばたく」の演題で講演した。「広島最大の異業種交流会」広島ビジネス倶楽部の主催。

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広島ビジネス倶楽部、新宮勝則代表世話人あいさつ

毎年12月3日(国際障害者デー)から12月9日(障害者の日)までは障害者週間。障害者週間は、国民の間に広く障害者の福祉についての関心と理解を深めるとともに、障害者が社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動に積極的に参加する意欲を高めることを目的とする。

「初めて広島」でさっそくお好み焼きを”満喫”した官野選手は、講演会場にやってくると「軽い感じで聴いてもらえれば…」とあいさつ。高校時代、硬式野球部では120人を超える部員の中でレギュラーだったことなど自分のおいたちや、サーフィン中の事故で車いすでの生活が始まったこと、ウィルチェアーラグビーとの出会い、日本代表への道、そのあと”またしても”訪れる挫折や、その先で目指した自分の目標、待望のメダルへの道と東京2020を見据えての今後について熱く語った。

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手前が競技用(オフェンス用)ウィルチェアー

官野選手講演の主旨

人生を大きく左右するアクシデントは高校卒業後に「千葉出身だし、モテたいから」始めたサーフィンの最中に発生した。熱中するほど魅力的なマリンスポーツ、せっかく就職できたトヨタ自動車(愛知県)も「千葉より波が悪いから」と退職。22歳の時、仕事の関係で訪れた静岡県の「海まで5分」の環境に一発で引き込まれ、そこに家を借りて仕事、サーフィン、また仕事、という生活を始めた。

ところが2004年4月、いつものように朝、昼、夕方と海に入り、夕方、浅瀬で波に巻かれて回転に頭を強くぶつけた。待望のスポンサーがついてくれて2カ月後の出来事だった。病院で医者から開口一番「あなたはもう歩けませんから…」と告げられた。

野球でもライバルの上を行き、サーフィンでもスポンサーがつくほどまでになれた。「根性出せば歩けるようになるさ」。だが、手も足も動かず、かわいい看護師さんに面倒を見てもらう状況に「死にたい感覚」になった。ただし入院して3、4日だけ。

母は看護師で、気丈に振る舞ってくれていた。しかし夜中に、その本心を見た(聞いた)ような場面に遭遇した。「すすり泣くような声を聞き、自分のとっている態度ではダメだ、強く生きよう」。翌朝、首が固定されていてもこう言った。「先生、すぐにリハビリをやらせて欲しい」

けっきょくその後の人生も、挫折とチャレンジの繰り返しになった。車いすでの生活はやってみるとやはり甘くない。何をするにも時間がかかった。慣れるまで、「普通な生活をする」までには大きな努力が必要だった。

ある日、福祉車両展に行ったら、たまたま近所の人がいて「ウィルチェアーラグビーやってみない?」と誘われた。調べてみたらパラリンピックに出られる、とあっる。「これならまたモテるチャンス…」2006年に新たなステージへと”前進”した。

2007年には日本代表入り。「天才だ!」と自分で思った!が、2008年北京大会メンバー入りはならず。ならば次は2012年のロンドン。ところが2010年、代表から漏れてしまう。

「ふてくされる」自分に、いろんな人が声をかけてくる。トレーナーも体のことを心配してくれる。また反省。生活態度を改めて気分一新!そんな時、「叶うかどうか分からない」夢を「目標に置き換える」ことの大切さを、日本大学の橋口泰一先生(准教授)に教えられる。そこから生き方を変えていく。一週間後、3カ月後、何を目標に据え、それぞれ数字をいかにクリアしていくか、その繰り返し…。

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官野選手は具体的な目標を掲げ、再チャレンジ!

2011年代表復帰、2012年ロンドン大会で4位入賞!だが、またしても新たに超えなければいけない壁が現れる。4位ではダメだった。帰国して成田空港で「出ようとしたら、ちょっと待ってください、メダリストが先ですので…」と止められた。メダリストがマスコミの取材を受けている横を通りぬけて帰路へ。

「プライドは非常に傷ついたが、この人たちを見返してやる」家に着くや否やトレーニング再開!で、「今回はリオから戻っても二週間くらい練習しませんでした」(笑)。

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リオデジャネイロ・パラリンピックでのメダルも一時は”夢と消える”運命にあった。アメリカ、カナダ、オーストラリアの3強と互角に渡り合うだけの力をつけた日本代表。自信を持って臨んだ本番、「金メダル」を目標に据えて予選リーグを突破!4強に入り迎えたオーストラリアとの準決勝。相手に研究され57-63で惨敗した。

試合後のロッカールーム。「もう終わった…」最悪の空気、「僕はロンドンでメダルのない辛さを知っている。どうしても欲しい」。涙声だった。そしてみんな泣いた。

4、5時間しか寝ていないのに翌朝、みんなすっきりした顔で集まることができた。「これならいける」と心底感じることができた。「結束力」。3位決定戦の相手はカナダ、死闘の末、52-50でその手にメダルを引き寄せた。2004年アテネ大会からスタートして、アテネ8位、北京7位、ロンドン4位。4度目の正直、歴史の変わる瞬間「みんなと幸せな時間」を過ごせた。

夢を目標に代え、逆算してクリアしていく、その過程多くの出会いがある、プラスの出会い、マイナスの出会い。そこでは夢を語っていい。同感してくれる人たちとのプラスの出会い。生きていく上でこのふたつを大切にしてきた。

メダルは大きなモチベーションだった。それが実現して嬉しいが、だからと言って自分の生活は大きくは変わらない。ただ、メールは1000件くらい届き、その中には「ボクの顔を見たくない」と言ってた女の子もいた…。

リオで自分を追い込み、実際満足した。引退するつもりだった。リオでもすごい経験をたくさんした。「コレ自分の国で、ならどうなるのかな?」考え出すと鳥肌が立った。それに「もしかして金メダル取れば、官野さん、官野さんって言われるのでは???」TOKYO2020へ、また挑む気持ちでいる。

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150人近くの市民らが官野選手の話に耳を傾けた

 

官野一彦(かんの・かずひこ) 1981年、千葉県生まれ。小中高と野球に打ち込む。障害は頸髄損傷。2007年ウィルチェアーラグビー日本代表選出、2012年ロンドンパラリンピック4位、2014年世界選手権デンマーク大会4位。2013年には日本代表キャプテンも務めた。ウィルチェアーラグビーの千葉RIZE所属 。既婚。2児のよき父でもある。

ウィルチェアーラグビー 1977年カナダで考案。2000年シドニー・パラリンピックで正式種目に。日本は2004年のアテネ大会から参戦。現在、40か国に競技者がいる。4人対4人で、バレーボールに似たボールを保持して相手陣地を突破すれば得点。10秒に一度、ドリブルかパスを出す。ウィルチェアー同士をヒットさせる(ぶるける)タックルあり。なので転倒やケガはつきもの。ウィルチェアーは1台150万円以上と高価。国際大会での人気は高く1万以上の観衆が沸く中での”激突”はどんどんヒートアップする。

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ウィルチェアーラグビーを取り巻く環境について

官野選手によれば、2010年までは遠征一回で持ち出し30万円、それが2010年の世界選手権(カナダ・バンクーバー)で日本のランキングが8位から3位に急浮上、これで国からの支援金が増え、遠征は持ち出しの必要がなくなった。さらに、三井不動産などメジャースポンサー4社が”アシスト”。

また官野選手は千葉市役所の職員で、1月には競技のため退職を考えたという。遠征のたびに有給休暇を消化。今年3月のカナダ遠征で有給休暇が底を突いた。

そのことを伝え聞いた千葉市の熊谷俊人市長の動きは素早く、条例を変更することで官野選手は職員のまま遠征を続けることが可能になった。千葉市はローカルマニュフェストに「車椅子スポーツを積極的に支援し、車椅子スポーツのメッカ、さらには障害者スポーツのまちへ」と掲げている。さらにトレーニングのために休める日も「週2・5日」と条例で定めてある。

官野選手から東京2020へ

官野選手が経験したロンドン大会とリオデジャネイロ大会、どちらが「良かったか」というとリオデジャネイロ。ハード面は間違いなくロンドンが上。リオは選手村のトイレも酷く、食事も不味くてカップラーメン生活に。しかし、地元の人たちの熱さはだんぜんリオ。オリンピックは空席も見られたが、パラリンピック競技場はどこも人気。ウィルチェアーの3位決定戦、1万人入るスタンドはチケット完売で「ジャポン」「ジャポン」と9割以上日本の応援だった。

今、東京2020の会場の話題が先行。でもオリンピック、パラリンピックはハード面からでなくて人間がつくる。応援する気持ちが大会成功に繋がる。世界中の人々が集まるのは五輪だけ。東京に世界中の人がやってくる。応援してください、じゃなくて楽しんで欲しい。例え試合を見れなくても会場の外で空気を味わってピンバッジを交換したり、オリンピック、パラリンピックをみなさんの身近に感じて欲しい。

官野一彦選手facebook
www.facebook.com/kazuhiko.kanno.5

同オフィシャルサイト
kazuhiko-kanno.com/kazuhikokanno/

官野一彦選手を支援する一般社団法人センターポールオフィシャルサイト
www.centerpole.work/

広島ビジネス倶楽部オフィシャルサイト
hiroshima-business-club.jp/

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