画像手前はJR広島駅の北側の二葉山から見たマツダスタジアム、画像右奥にある黄金山の手前に高津監督が通った広島工がある。
7月19日 △3-3ヤクルト マツダスタジアム
通算9勝13敗2分け(首位巨人に最大6・5差の5位変わらず)
18時開始・3時間57分、4,991人
相手先発 高梨6回3分の0、5安打3失点
本塁打 -
一番センター西川
二番セカンド菊池涼
三番サード堂林
四番ライト鈴木誠
五番ファースト松山
六番レフト長野
七番キャッチャー曾澤
八番ショート田中広
九番ピッチャー遠藤5回89球5安打1失点(自責1)
ケムナ
一岡
塹江H
菊池保
D・ジョンソン
午後6時開始のナイトゲーム。午後8時6分、2点を追いかける広島の反撃が始まった。
堂林、鈴木誠、松山の新クリーンアップ3連打で、ヤクルト先発の高梨をKO、同点に追いつくと救援した梅野から曾澤が勝ち越しタイムリー。
そして午後8時54分には暫定守護神のスコットに代わる暫々定?守護神の菊池保がマウンドへ。午後9時には「カープ連勝」の知らせをスタンドのファンに伝える手はずになっていた。
ところがヤクルトベンチにはまだ飛車、角がそのまま残っていた。
高津監督、最初の一手は「代打・坂口」。広島バッテリーはファウル、ボール、ファウルで追い込みながら4球めボール、5球めファウルのあと勝負に行った膝元のフォークを中前に打ち返された。
高津流、次の一手は「代打・荒木」。その初球、完璧な送りバントを決められた。
一死二塁で一番・上田。今度はボールカウント1-1から6球続けてファウルにされた・真っすぐもツーシームもフォークも…だ。まだボール球が使えるカウントで投じた釣り球は、快音とともにまた中前に弾き返された。
そしてヤクルトベンチ最後の一手は「代打・青木」。前日、スコットにぶつけられてベンチスタートとなった元メジャーリーガーを、この状況で抑えることができる投手はそうはいないだろう。
曾澤のリードは内・外・内。外。その4球めをこれまた中前にうまく運ばれて同点にされた。
メジャーと言えば高津監督もそうだ。それに高津監督の場合は韓国、台湾プロ野球も経験している。ついでに言えば?国内独立リーグでも投げたり指揮を執ってもいる。ダメ押しするならヤクルト時代に4度も日本一胴上げ投手になっている。
広島の最後の日本一は1984年。高津監督は当時、16歳。かつての旧広島市民球で「浩二や衣笠」を応援しながら甲子園目指して広島市南区にある広島工に通っていた。
この日、試合のあと高津監督は「まさか、監督として帰ってくるとは思わなかった。たくさんの思い出がある街…」と話していた。その当時、自宅があったのは市内にある小高い山、比治山のそばでマツダスタジアムからでもその景色は確認できる。
こうしてこれまでの経過を辿っていけば、三塁側ベンチのその執念の采配により、一塁側ベンチが本拠地で苦戦する理由も分かるような気がする。
けっきょく時計の針が午後10時前を指して、この日は延長の末、引き分けに終わった。付け加えるならばこの日、広島県独自の高校野球大会で広島工は尾道商に惜敗…。
高津監督はどんな気持ちで、宿舎に戻るバスの車窓から比治山辺りの街の灯を見つめただろうか?(ひろスポ!・田辺一球)