風の涼介#1、2011年12月13日
新入団会見の席には、明らかに異彩を放つ選手がいた。ドラフト2位の菊池涼介だ。171センチ、70キロの右投右打ち内野手。俊足と攻守が武器のルーキーは冒頭の挨拶の中でこう言った。
「カープって言うと赤ヘルってのが頭にある。岐阜にいて、カープの放送は見られないけど、(チームに)足があるので、足を使っていきたい。守備と足でチームに貢献できるようになりたい。ゴールデングラブ賞を取りたいです!」
菊池の横顔はこうだ。
1990年3月11日、東京都生まれの21歳。ポジションはショート。
東大和三中時代は東大和シニアに所属。 武蔵工大二高時代は主に三塁手としてプレーした。 3年夏は、長野大会4回戦敗退。甲子園出場はない。
中京学院大進では1年春からリーグ戦に出場。 岐阜リーグ屈指の遊撃手として活躍し7季で5度もベストナインを獲得している。 打つ方でも 2年時に22季連続首位打者と本塁打王、春には打点王も獲得して三冠にも輝いた。
リーグ戦通算では83試合、106安打の打率3割7分9厘。10本塁打、49打点。
なお、 2年夏と4年夏に、日米大学野球、大学日本代表候補に選出され選考合宿に参加している。
リストの効いた打撃で三番を打ち、50メートルは5秒9、一塁到達タイムは右打者でも4・3秒台。遠投は117メートル。こうして数字を並べていくと、社会人と大学の違いこそあれ、梵と完全にかぶったキャラクターであることがよくわかる。
菊池の一番の特徴は何か?カープ球団が報道陣に配布した資料に「広島には珍しくキャラの“立った”若武者だ“」と書いてある。
ドラフト指名を受け「野村監督がつけていた背番号7が欲しい」とやったことで、その「キャラ」がいきなり証明されたことでも知られる。
入団会見のあと、記者に囲まれての取材でもまったく肩に力が入っていない。そして、思ったことをどんどん口にする。東京都出身で高校時代は長野県塩尻市。なのに、その言動からはなぜかあの金本知憲によく似た空気感…。そう強く感じずにはいられない何か、がきっとあるのだろう。
金本と言えば入団当時のカープには西田、音、スイッチの山崎らがポジションを固め、内野を見渡しても野村、小早川…。スタメンオーダーには左の強打者が揃っていた。
当時を振り返り、平成の鉄人がこんな話をしたことがある。
「浪人して入団してたからプロ2年目でもう25歳。3つ年下の前田がバリバリやっていたし、当時のカープは右バッターが重宝されて左は存在感も薄かった。キャンプで強化メンバーにも入れんし、特打させてもらうこともなかった」
「子供のころから僕は三日坊主というか、弱音も吐くし愚痴も出た。広陵高校時代も練習がしんどくて、辞めたいとしょっちゅう思っていた。ただ、同じ辞めるなら絶対にレギュラーを取ってから、という感じで、最終的には“どうでもいいや”と思う心より“絶対にやってやる”の気持ちが勝っていた」
「(カープに入団したころは)レギュラーなんて無理、必要とされていないと察していた。もうダメかなと思ったけど、やることだけはやってみようとまず、上は伸びんから横を伸ばそうとトレーニングを始めた。とりあえず振る力をつけるためにね」
「練習方法もわからんし理論もない。だから必死でバットも振った。次がストレートならその1球を、変化球ならそれをきっちりと、とりあえず狙ったボールが来た時はきちんと打とう、ということからやった」
「もしこの時、もっと難しいことをやろうとしていたら、迷路に入ってダメになっていただろうね。そうしているうちに3年目の終わりから振る力だけはついてきた」
…なるほど、汗と泥にまみれゼロから這い上がっていく、いかにも広島らしいストーリー。
果たして菊池はこの先、どんな道を歩んでいくだろうか?
この連載は、10年以上、一日も休まずに更新し続けるカープ情報携帯サイト「田辺一球広島魂」で過去に連載したコラムから抜粋してお届けします。
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