画像はカープ誌の元祖「月刊CARP」誌の表4(裏表紙)、見えづらいが「発行所」は「鷹匠町」(現在の中区本川町界隈で旧広島市民球場跡地から徒歩10分圏内)となっている、鷹がコイを生んだことになる…
3月30日にひろスポ!がアップしたこの記事↓は※デルタルハンターとしての取材に基づいたものであり、おそらくその内容に間違いはないだろう。
※デルタルハンター…パソコン1台を武器にネット上のオープンソースからデーモン・プーチン(ひろスポ!造語)のような地上に存在する災いや巨悪の動きを正確に暴くデジタルハンターを模した造語である。広島市は三角州(デルタ)上に形成されており、デルタルハンターはネット上の情報と街中などで集めた情報を総合的に勘案してそれを記事にまとめる。
本家のデジタルハンターはNHKで再三取り上げられており、インターネット上にある情報、画像、動画などを検証して、事件・事故・国際紛争などにおける事実を導きだす、オープン・ソース・インベスティゲーション(公開された情報源の調査)で、暴かれる真実の大半が権力者側にとっての「不都合な真実」である。
広島では1980年代以降、旅行誌、タウン誌など多数の地元情報誌が書店に並んでいた。
現存するものもあれば、淘汰されたものもある。
カープ、サンフレッチェ広島などを扱う情報誌として今なお愛読されているのが「広島アスリートマガジン」。3月25日発売の4月号で連載コーナー3本を告知なしに“ぶった切り”にして、SNSで騒動になった媒体だ。
広島アスリートマガジンは経営母体がこれまでに3度変更された。前回の記事ですでに紹介したように地方で月刊誌を発行し続けるのはタフなことだ。
1989年、広島市西区にカープOBらと懇意にしていた平岡洋二氏が「トレーニングクラブアスリート」を開設した。施設はその後、東区牛田新町のアストラムライン沿いに移った。
多くのアスリートやプロ野球選手が通うため、その存在は広く知られるようになった。それに伴いデイリースポーツなどメディアでも平岡洋二氏の名が頻繁に取り上げられるようになった。
この間にカープOBの口述による書籍が発刊され、どう少なく見ても数百万円の純利益があった。ところがOBには対価が支払われていない。黒歴史の1ページになってしまっていないか?
そして2021年の秋、東区の施設は突然もぬけの殻となり、土地は売却され、2022年1月には「姉妹店」がスタッフの手により西区にオープンするという流れになった。
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話をここでもう一度、1989年以降に戻す。
そう広島では今思えば夢のような出来事があった。
1994年秋、広島アジア大会開催。
そのタイミングで平岡洋二氏は新たな月刊誌創刊を模索した。ひろスポ!取材班にも相談があり、最終的には1993年5月20日付創刊号(隔月からのちに月刊に移行)から「アスリートマガジン」誌がスタートした。
ひろスポ!取材班はその編集には携わっていないが、数多くのコラムや特集記事を執筆した。
「アスリートマガジン」以前はどうだったのか?そこには「カープ」を直接タイトル名に使用した月刊誌が複数存在した。その歴史を紐解くと…
旧広島市民球場が完成した1957年(昭和32年)に歩調を合わせて、初代カープ雑誌も誕生した。「月刊CARP」。ひろスポ!ではすでに2014年に特集を組んでいる。↓
読めば読むほど興味深い…
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「月刊CARP」は1961年(昭和36年)まで続いた。しばらく間があって「月刊CARP」の後誌として、「月刊カープファン」が、カープ黄金期の到来に合わるかのように1978年(昭和53年)に創刊された。1955年から59年まで広島に在籍したOBの橋本敬包氏が中心的役割を果たし、1987年(昭和62年)10月号まで続いた。
次に登場したのが「ザ・カープ」(中央企画出版)で東区光町に制作拠点があった。広島東洋カープからもかなりの支援があったという話がある。1987年11月号からスタート。1991年、佐々岡真司、野村謙二郎らを有する山本第一次政権がリーグ優勝を果たすなどしたため、多くのファンに愛読された。
ところが1993年3月号に突然、次のような告知が掲載された。↓
このあと4月号分のわずかな空白期間を経て、平岡洋二氏の「アスリートマガジン」が新たなカープとカープファンをつなぐ媒体の役目を引き継ぐことになったのである。(ひろスポ!デルタルハンター班&田辺一球)