画像はエディオンピースウイング広島の大型映像装置に掲げられた12月8日への思い
サンフレッチェ広島が12月8日、明治安田J1リーグ第38節(今季、リーグ最終戦)で逆転Vを信じてガンバ大阪戦に臨む。キックオフは敵地のパナソニックスタジアム吹田で午後2時…
自力優勝の可能性はないので、もうサンフレッチェ広島はこの一戦に勝って吉報を待つのが、エディオンピースウイング広島元年、激闘のエンディングには相応しい…
ところで、そのエディオンピースウイング広島…夢の広島新スタジアム…
その視点からどこかのメディアが報じるかと思って見ていたが、とうとうどこも報じないので決戦当日のきょう8日午前9時30分の時点でひろスポ!の広島スポーツ100年取材班はこの記事を作成することにした。
5日、午後からエディオンピースウイング広島でACL2のグループリーグ最終戦を控える中、サンフレッチェ広島の仙田信吾社長、ミヒャエル スキッベ監督、青山敏弘選手らが広島市役所に松井一実市長を訪ね、ホーム最終戦を終えるそのタイミングでシーズン報告などを行った。
そのやり取りの中で青山敏弘選手が、以前に松井市長が3度優勝したら新スタジアムを建設する、とした一件を逆手に取って!?、ほぼ“フルハウス状態”のスタジアム収容人数アップのための増築に向け、今度は「何度、優勝すればいいかのご提示を…」と発言した。
この一幕には実に深い意味がある。この先、サンフレッチェ広島を指導者の立場で牽引していく青山敏弘選手はそのことをきっとよく理解しているはずだ。今や数少ない現場の当事者のひとりなのだから…ミヒャエル スキッベ監督も、そして仙田信吾社長も“あの時”はまだサンフレッチェ広島とは無縁だった。
2013年12月7日、サンフレッチェ広島は今回に酷似したシチュエーシュンからミラクル優勝、リーグ連覇を遂げた。
このシーズン、最終節を迎えた時点での順位は勝ち点62の横浜F・マリノスが首位、60のサンフレッチェ広島が2位、59の鹿島アントラーズが3位で優勝の行方は3クラブに絞られた。そして自力優勝!のはずだった横浜F・マリノスがアウェーの川崎フロンターレ戦に0-1で敗れ、アウェーで鹿島アントラーズと対戦したサンフレッチェ広島が2-0で勝って、勝ち点1差でシャーレを手にしたのだった。
当時のサンフレッチェ広島は森保一監督の下で快進撃していた。2012年、新指揮官の下でJ1リーグ優勝して世間をあっと言わせた。連覇でさらに注目される存在になった。
一方で、サンフレッチェ広島も広島県民も市民も、Jリーグスタートの頃からの長年の夢だった新スタジアム建設へ向け、声を上げ、あらゆる活動を続けていた。
そんな中、森保一監督は松井市長との1対1のやり取りの中で「3度優勝したらスタジアム建設を考える」と通常ではありえない条件を提示された。公共施設にもなるはず(一例を挙げればマツダスタジアムは広島市民球場で市の施設)の新スタジアム建設条件に、地元チームの成績をリンクさせることが許されるのか?それならBクラス続きで、さらに当時のダイエーホークスに合併されかけたほど弱かったカープに新球場という過去との整合性が取れない。
あれから11年…紆余曲折あってこの2月、エディオンピースウイング広島が誕生した。世界に誇れる新たな器の誕生には誰もが感謝し、その素晴らしさを共有しているが、一方で建設の遅れが多くの選手、関係者、市民・県民の夢を奪ってもきたことも事実。新スタジアムをその目で見ることなく、今は広島の空から見下ろしている人たちも多くいるだろう。なんせ30年以上も待たされたのだから…
2013年、新スタジアム建設話をのらりくらりとかわしていた松井市長が建設に向け動かざるを得なくなった事件がある。12月3日、広島市中区であった広島写真協会の会合に呼ばれた松井市長が、あいさつの中で「優勝されるとスタジアム問題が土俵際に追い込まれる」「サンフレッチェ広島は2位でいい」とはっきり口にしたのである。
この件は、ネットで「2位でいい」「松井市長」「ひろスポ!」と検索すればいくらでも記事が出てくる。
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広島市長が「2位でいい」と発言 サンフレッチェ広島広報部長が激怒: J-CAST ニュース【全文表示】
上に記す関連記事の中に次のような一節がある。
<「松井市長の発言を目の前で聞いて、屈辱。怒りで腸が煮え繰り返ると同時に、悲しくて涙が出そうになりました」「「事実であり、恐らく報道されることはありませんので、シェア、拡散いただき周知ご協力お願いいたします」>
この「 」の言葉をネット上にアップしたのは当時のサンフレッチェ広島広報部長だ。今は活躍の場を他の舞台に移している。
そう「おそらく報道されることはない」の予想通り、広島の新聞、放送メディアはこのあまりにも重たい失言をスルーした。
だからサンフレッチェ広島のホームぺージにその事実がアップされたのだ。
だが、ほかにただひとつ、サンフレッチェ広島広報部長にシンクロしたメディアがあった。あとにひろスポ!をこの世に送り出すことになった現在のひろスポ!運営者の田辺一球のTwitterだった。別に広報部長と打ち合わせた訳でもなければ連絡を取り合った訳でもない。アップするのが当然の話だから…
この2つのネットメディアがバズって広島市に避難殺到!翌日、松井市長は会見を開いてその意図を後付けで発表するハメになった。全国の目からも晒されることになった。
この厳然たる事実は永遠に消えない。そして青山敏弘選手ら当時、新スタジアム建設へ向け葉を食いしばってピッチを駆け抜けた仲間たち、当事者のひとりで日本サッカー界をW杯の頂点へと導こうとする森保一監督も、決してそのことを忘れはしない。
「2位でいい発言」のあと広島県警の護衛付きで流川の歓楽街当たりで湯崎英彦知事と”密談”した松井市長は12月7日、要するに問題発言からわずか4日後に、旧広島市民球場跡地(現在のひろしまゲートパーク)であったパブリックビューイングにやはり県警の護衛付きで現れた。
試合観戦中も檻のような鉄柵の中から出てこようとはしなかった。湯崎知事は対照的に集まった県民・市民らと交流した。
崖っぷちだったサンフレッチェ広島と森保一監督がなぜ2013年12月7日にハッピーエンドを迎えたか?ひろスポ!が勝手に想像するに、松井市長に対する行き場のない反発心が鹿島撃破に繋がり、そして広島スポーツ100年の重さ、その勝利の女神が微笑んでくれたから、だ。
しれなしにサンフレッチェ広島の連覇はなかっただろう。森保サンフレッチェは2015年にもJ1の頂点に立ち、青山敏弘選手はその闘いの全てを見届けてきた。
「アオ自身も監督になることえを目標にしていると聞きましたので、ぜひサンフレッチェの監督になってください」
12月1日のセレモニーで大型画面に映し出された森保一監督が、セレモニー主役の青山敏弘選手に向けてそう言った。
紫の魂はそうやって引き継がれていく。青山敏弘選手の先の市長訪問でのリクエストの背景も、こうした過去を掘り起こしておかないと今の人たちには伝わらないし、松井市長が反省しないようだとまた同じことが起こる。
…ガンバ大阪戦、キックオフまで、あと3時間…
松井市長や湯崎知事は現地、またはどこかのパブリックビューイングで市民・県民・サポーターと2013年と同じように応援するのだろうか?(ひろスポ!広島スポーツ100年取材&田辺一球)