画像は今季最終戦でマツダスタジアムのファンに坂倉(左)とともに手を振る西川、”見納めに”と撮影したが63番は本当に見納めになった…
広島東洋カープは11月3日、西川龍馬外野手の背番号が63から5に変更されることを発表した。前日(2日)、今季5番をつけていた長野久義外野手の巨人への無償トレードが発表されたことを受けての措置。文化の日でも球団事務所は通常営業…
今オフのFA移籍を封印した西川龍馬は「決め手は新井監督」と言い切った。新井貴浩監督にしてみれば、これほど嬉しい決断はない。1年前の今頃、鈴木誠也がポスティングによって抜けた打線の穴はぜんぜん埋まらず、さらに「西川も…」となれば大変なことになっていた。
ただし今季のチーム打率・257はリーグトップ。一方で打点524はヤクルトの606、巨人の533に次ぐ第3位。新井監督が打線を引っ張ってリーグ3連覇した際には2017年開幕20試合目過ぎで「四番新井」→「四番鈴木誠」のバトンタッチがあり…
2016年 649打点
2017年 705打点
2018年 697打点
…村神様のヤクルト打線の今季の606打点を遥かに凌ぐ、すっゴイ打線が3年の短命に終わった佐々岡政権以前に存在していた。
来季の広島は、かつての主砲が指揮を執る。ミスターカープ山本浩二監督時代の再来だ。
ただし2度あった山本政権で、チームは厳しい現実に直面した。
1889年から1993年の第1次山本政権では、それでも1991年、西田真二とロッド・アレンの左右打者の四番併用でリーグ優勝にこぎ着けた。そこには“鬼コーチ”と恐れられた大下剛士ヘッドの存在があった。
だが2001年から2005年の第2次政権では、4・5・5・5・6位に低迷した。
01年と02年に不動の四番だった金本知憲が阪神へFA移籍、球団のこの判断が災いの元となった。
03年の「開幕四番・新井」は不発に終わり、7月からは「四番アンディ・シーツ」。球界再編に揺れた04年は前田智徳と「赤ゴジラ嶋」重宣が四番で、シーズン終盤は日替わり四番になった。
山本第2次政権ラストシーズンの05年は全試合「四番前田」だったが、チーム防御率4・80で最下位に沈んだ。
「打線が投手を育てる」はよく言われること。第2次山本政権ではそれができず、投手陣が壊滅状態になった。
佐々岡監督最終年の今季も、交流戦まで文句なしの数字を叩き出していた投手陣が途中から息切れ、けっきょくBクラスに終わった。
球団が今回、西川龍馬に「5番」を託したのは打線を引っ張って欲しい、という願いを込めてのものだろう。
ただし「四番西川」で固定されるかどうか、と考えるとそれは現時点では微妙…。では、秋山翔吾や坂倉将吾が四番で、となるとそれも微妙…
右の長距離打者でいえば間違いなく堂林翔太の飛距離が群を抜いている。でも、調子の良し悪しの上下動が大き過ぎる。
この歴史的な円安の時代に、米国から右のスクラッチヒッターを連れてくることは難しいため、現有戦力でどう戦うか?
不動の四番だった新井監督の悩みは尽きないだろうけども、まずは四番。それを考えれば、話を蒸し返すようになるが、今回の広島のドラフト戦略は?のオンパレードということになる。