画像はベルリン・ユダヤ博物館、ひろスポ!ベルリン取材班撮影
東京五輪・パラリンピック組織委員会は7月22日午前、開閉会式制作・演出チームでショーディレクターを務める小林賢太郎氏(48)を解任したと発表した。ナチス・ドイツによるユダヤ人などの大虐殺を過去に笑いのネタにしたことを米ユダヤ系団体から抗議され、瞬く間に大きな問題に発展した。
開会式まで40時間を切った中で世界に向け、また日本の恥の上塗りとなった。「呪われた」五輪はトラブルの総合デパートと化した。だが、今回の事件には最大級の重みがある。NHKも昼ニュースの最初の項目で伝えた。
五輪招致前、招致時、招致直後からトラブル続出の東京五輪・パラはギリギリになって大方の競技が「無観客」となった。この時点ではやり開催を中止すべきだった。
サッカーの吉田麻也に「誰のための五輪なのか」と言わせなければいけない事態になる前に、だ。
今では「誰の」に加えて「何のための」も誰も明確に答えられない状況となっている。
そもそも、なぜ東京で五輪を?
そこには普遍的な価値観があったはずで、その普遍的な価値観の根底にはオリンピック憲章の精神があり、こう記されている。
オリンピズムの根本原則
4.スポーツをすることは人権の 1 つである。 すべての個人はいかなる種類の差別も受けること なく、オリンピック精神に基づき、スポーツをする機会を与えられなければならない。 オリンピッ ク精神においては友情、 連帯、 フェアプレーの精神とともに相互理解が求められる。
……
東京開催を願って止まなかった人々や、これまで準備、運営に努力してきたすべての人々が、その中でも大会をコントロールすべき司令塔の面々がそこを細かく抑えていれば、傷害事件と言って差し支えない小山田圭吾氏(52)の過去の言動による辞任も、今回の一件も防ぐことができた可能性がある。ネット全盛時代。彼らの過去の言動をチェックしようと思えばいくらでもできた可能性がある。
開会式・閉会式にかかわるクリエイティブチームメンバーがどうやって集められたか?または集まってきたか?渋谷系など日本が誇る名だたる大物たち、ということらしいが、勝手にイメージするにあの東京五輪予言書「AKIRA」で暴走バイクがネオ東京を疾走するシーンにもオーバーラップする。
しかし「AKIRA」は現実の世界には残念ながら存在しない。一方、今回の度重なる究極の人権侵害言動は現実の話、だ。
ふたりの過去についてはここでは割愛するが、その生い立ちや活動過程でどんな学びの機会があったのか?次々にボロが出てくるのは、日本の教育のありようや、メディアも含めてこの国の人権意識が世界基準より遥かに劣っているからではないか?
もしそうなら最初から五輪などする資格はなかったことになる。
今、東京を訪れている各国、地域のメディア関係者はメインプレスセンターでバカ高いコーラやうまくもないハンバーガーを横目に、酷暑に閉口しつつそれぞれの社や団体に電子メールを送っている。
そこでは当然、客観的な内容が求められるが、中には現地記者らの思いや感想、問題提起を主とするコラム的なものも多数、存在する。「おもてなし」の言葉に裏切られた取材者がそこにどんな主体性を込めるか?そしてオリンピック精神に反するこの国の言動をどう受け止め、どうそれぞれの社や団体にどう伝えるか。日本に対するイメージが著しく損なわれる恐れすら出てきた。
東京五輪はもう開会式を前に、そのあるべき精神を完全に失っていないか?
この問題において一番の肝の部分は、オリンピズムの下、必要以上に苦労を重ね、せっかく東京や日本各地に集まってきたアスリートや関係者たちすべてに対して、開会式というメモリアルなおもてなしにおいて、大きな裏切り行為を犯したということだ。気持ちを踏みにじられ思い出を台無しにされた、というような声が上がるようなことにでもなれば、もう取り繕いようもない。
オリンピック憲章、第1章 オリンピック・ムーブメントには最初にこう記されている。
オリンピック ・ ムー ブメントの目的は、 オリンピズムとオリンピズムの価値に則って実践されるスポーツを通じ、 若者を教育することにより、 平和でより良い世界の構築に貢献することである。
……
これについては誰もがそう理解しているはずだった。理解しているならば、開会式直前の辞任、解任騒動は起こるはずもない、はず…
ひろスポ!はサンフレッチェ広島時代からある人物を取材してきた。
サッカー男子の森保一監督だ。2017年10月12日、日本サッカー協会よりその任が発表された。
同年7月にサンフレッチェ広島監督を解任(報道では辞任と解任が混在、事実上の解任だった)された森保氏はJリーグクラブなどに対して“就職活動”を続けながら、国内が騒がしくなると欧州などへ自費で視察に出向いた。伝手をたより、宿舎も自分で手配して、だ。
サンフレッチェ広島時代からスポーツと平和について機会があるごとに発信してきた森保氏だったから、ひろスポ!では森保氏が欧州視察を続けているタイミングで、記事を使って一方的なメッセージを送った。
その内容はぜひ、ベルリンとその近郊のポツダムに立ち寄り、第二次世界大戦の結末「THE FINAL ACT」に広島がどう取り上げられ、日本と同じ枢軸国のドイツがどれだけ罪深い迫害を続けてきたのか見て来て欲しい、というもの。(以下参照)
東京五輪で金字塔を…と同時に森保監督率いる五輪代表は長崎・広島のピッチに立ち世界発信を! | 【ひろスポ!】広島スポーツニュースメディア (hirospo.com)
そこには当然、ベルリン・ユダヤ博物館、ホロコースト記念博物館、イーストサイドギャラリー、ベルリナーマウアー(ベルリンの壁)が出てくる。
五輪開催と、人類史上初の原爆が投下された広島、そして森保監督の育った長崎は表裏一体の関係にある(だからバッハ会長らも広島・長崎にやって来た)。しかしそれは第二次大戦で焼け野原になったこの国に共通する負の遺産であり、戦後民主教育を日本で受けたはずの小林賢太郎氏や小山田圭吾氏もその中のひとり…
それなのに、1990年代以降の日本で、なぜいじめや傷害事件を平気で起こしたり、お笑いと大量殺りく、ジェノサイドの区別もつけることができなくなるのか?
日本テレビの情報番組でアイヌ民族を差別する表現が3月にあった件でBPO(放送倫理・番組向上機構)は前日(21日)、「放送倫理違反があった」との判断を示した。これとて、局の下請けのまた下請けのような制作会社の段階での問題でもあり、もちろん日本テレビ自身の問題もあるのだが、やはり「人権意識」の希薄さから来る事件であり、そこに「ちょっとこれはいけないでしょ」という声が存在しない。それが日本人の意識レベル…
日テレは「再発防止に努めます」で切り抜けることになるが、五輪の場合はそうはいかない。もう次はない。
東京五輪が例えこのまま開会式を迎え、その後中断して空中分解となろうとも、日本人の人権意識の遅れがはっきりしたという事実は、大切なレガシーになる。
日本はまず国内で「人権オリンピック」を開催した方が良くないか?弱り切ったその足腰を鍛え直し、また別の機会に世界に向けてクールジャパンの魅力を存分に発信し続けることでのみ、今回の失敗をプラスに転じることになる。
広島スポーツ100年取材班
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