トップ画像は広島の平和記念公園を訪れ、折り鶴献納に向かうU-22日本代表の選手たち
ベルリンの壁崩壊から11月9日で30年。東西ドイツ統一に繋がる歴史的な出来事、のはずでした。人々の心の「壁」も消えて、多国間協調で「一つの欧州」へ…
「人々を分断する壁はどんなに高くとも打ち破ることができる」
ベルリンであった記念式典。ドイツのメルケル首相はそう演説しました。
でも…
東西ドイツがひとつになり、ソ連が崩壊し、EUが結成され、そして今、欧州全体が揺らいでいます。
通常の経済活動や日常と、暴力の応酬や殺人が背中合わせの香港がそうであるように、世界の至る土地が揺らいでいます。国を持たない人々にも、行き場のない難民にも、誰も手をさしのべようとはしません。極端な格差社会は当たり前になりました。一国主義が台頭して、自分と似た者以外は敵…
2017年10月14日、ひろスポ!にこんな記事が掲載されました。
東京五輪で金字塔を…と同時に森保監督率いる五輪代表は長崎・広島のピッチに立ち世界発信を!
hirospo.com/pickup/41298.html
五輪代表、森保一監督が誕生したのはその16日後のことでした。
この記事は、ベルリンの壁と森保ジャパンについて綴られています。そしてベルリン近郊には第二次大戦の敗戦国、日本に無条件降伏を勧告したあのポツダム宣言、の街ポツダムがあります。
そこにはヒロシマ・ナガサキプラッツ(記念地)もあります。そのことにも触れています。
”あれ”から30年のベルリン…
その郊外にあるオリンピックシュタディオン。1936年、第二次大戦前にベルリンオリンピックのメイン会場として建てられました、オリンピックを国威発動の場にしたヒットラーによって。そこに手を加え、今はヘルタ・ベルリンのホームスタジアムになっています。
そのピッチに「壁」を持ち込みイベントが開催されました。もちろんベルリンの街も特別な風景を創り出していました。画像の中には「壁崩壊30年の30年を思い起こせ」の横断幕も確認できます。
そしてきょう、11月13日。
広島市内で合宿中の久保建英選手、堂安 律選手、大迫敬介選手らU-22日本代表の選手たちが広島平和記念資料館を訪ね、被爆体験講話に耳を傾けました。原爆慰霊碑への献花と折り鶴の子の像への折り鶴の献納も自分たちの手で行いました。
U-22日本代表は17日、広島で国際親善試合を行います。これが国内デビュー戦です。
続いて12月には長崎で国際親善試合を行います。
2020年、東京五輪・パラリンピックの時、日本は戦後75年。
1945年8月6日、広島に原爆が投下されたあと、「75年は草木も生えない」とされていました。この言葉を残したのは原爆製造のマンハッタン計画に携わった博士です。
森保監督率いるU-22日本代表の国内での出発点がどうして広島なのか?
きっとサムライブルーのユニホームに袖を通す若い世代の選手たちも感じてくれるはず…
スポーツでもっと幸せな広島へ…
次の75年も平和な日本であるために、広島のピッチに響き渡るホイッスルの音にはそんな願いが込められています。
「川風の街、七色の光」は広島スポーツの風景を切り取って、未来の、平和な時代の子供たちに向けて、その記憶を送り届けます。