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2020年12月08日
編集部

旧陸軍被服支廠だけじゃない、兵器支廠も糧秣支廠もマツダスタジアムから”延びている”宇品線もセットで残したい、真珠湾攻撃から71年目の12月7日に思うこと

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旧陸軍被服支廠
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写真展で来場者に分かりやすく説明する内藤事務局長(トップ画像右)

三原市内で高病原性インフルエンザが発生した。新型コロナウイルス感染拡大の勢いも止まらない。「またお客さんが急に少なくなりました」前日(12月7日)にJR広島駅に近い居酒屋でアルバイトの女子大学生から聞いた話だ。人気店なのに…

確かに満席の店もある。おいしい、安い、楽しいの3拍子ならコロナ対策をしたうえでの会食も”まだ”広島市内では可能なようだ。だが、流川、薬研堀界隈でも閉店したテナントが目立つ。そこにまた新たな店が入るが、いつまで持つのか…

そんな状況下であっては「それどころじゃない」という声も聞こえてきそうだが、きょう12月8日は広島にとっても大事な日だ。

すでにひろスポ!広島スポーツ100年取材班では過去、何度か「真珠湾攻撃」を記事にしてきたが、戦後75年の今年、改めてその衝撃的なエピソードを綴る。

広島に暮らす、学ぶなら知らない、では済まされない。知るべき、話だ。

以下、過去記事から引用-

サンフレッチェ広島のJリーグスタート時の記念すべきホーム開幕戦は、広島市西区にある広島県総合グラウンド陸上競技場、当時、広島スタジアムと呼ばれた場所で開催された。

この競技場施設は広島県の「皇紀2600年記念事業」として進められ、1941年12月7日に完工式があった。

野球場、庭球場、相撲場、弓道場もある施設群は「総合体錬場」の名で完成した。7日、8日、9日の3日間で記念の体育大会があった。その2日目、修道中学(現修道高校)と広島一中(現国泰寺高校)の対戦の最中に、ラジオスピーカーが日本の米英への宣戦布告を告げた。79年前、同じ広島のマチナカで現実にあった話、である。

軍艦マーチとともに「帝国陸海軍は本8日、西太平洋において米英両軍と戦闘状態に入れり」のアナウンスが繰り返されたという。会場は異様な空気に包まれた、と資料には記されている。一般市民は誰も戦争など望んでいない。

引用は以上

 

真珠湾攻撃と「皇紀2600年記念事業」完工式がたまたま重なった訳ではないだろう。

日本が戦争の泥沼に引き込まれる(泥沼に突っ込んでいく)のと、広島が日清戦争以降、戦争のために様々な準備をしてきたことは表裏一体の関係にある。令和の時代にはまず聞かれない「体練場」などという呼称は、まさに「軍都」ならでは。そして、原爆投下までもう残り4年もない…と令和の時代からどんなに叫んでみても、被爆の朝の人々の日常にその声は届かない。

旧陸軍被服支廠
「写真展・旧被服支廠の記憶」の横断幕

 

被爆75年。

軍都広島の何たるかをその姿、その「圧」のみでも語ることができる、それが広島市南区にある旧陸軍被服支廠だ。

2019年12月4日(12月7日の3日前)、広島県は議会総務委員会で、県が所有する被服支廠3棟のうち2棟を解体する方針を示した。1棟を所有する国もこの動きに追随した。

その驚くべき方針に抗う声は瞬く間に広がり、しかも湯崎知事はその最中に耐震性調査について「はしょった形で説明した」などととんでもない言い訳をした。耐震工事に莫大な費用がかかるから解体する、と言っておきながら、その根本のところで「はしょった」りするのであれば、このごろ紙面を賑わす「多選問題」は置いといても、もう恥ずかしくて知事の椅子に座り続けることはできないだろう。

そんな行政側の血の通わない対応とは対照的に草の根の活動が同時多発的に見られるようになった。12月5日から、広島市中区の合人社ウェンディひと・まちプラザで始まった旧陸軍被服支廠の「全棟保存」を訴える「写真展・旧被服支廠の記憶」もそのひとつだ。午前9時半から午後10時。入場無料。12日まで。関係者の中からは「広島県庁でもぜひやってみたい」という声が上がっている。

被爆前から戦後1960年ぐらいまでの36点の写真が展示され、旧陸軍被服支廠の「日常」や人々の表情をうまく切り取ってもいる。写真は個人所有のものや、既存の施設所有のものを集めた。

主催したのは旧被服支廠の保存を願う懇談会(中西巌代表)。同懇談会では関連資料や写真を探している。事務局は佐伯区八幡にある。電話090-6408-1528。

旧陸軍被服支廠
画像の右の台形のエリアが兵器支廠、左下が被服支廠、その間を宇品線が走る、左上部が比治山

ところで展示された写真の中に8月6日当日の米軍による空撮がある。

そこには、日清戦争のために1894年(明治27年)年6月に広島駅まで開通した山陽鉄道から現在のマツダスタジアムの正面で弧を描きながら宇品港(現広島港)まで延伸された陸軍専用線(後の国鉄宇品線、同年8月に開通、1986年廃線)が南北に走っている。

そして比治山の東側には兵器支廠(現在の広島大学病院施設など)の広大な敷地が、さらに宇品線を挟んでその南西に被服支廠の敷地が広がる。

「もうひとつ、宇品に向かっていくと糧秣支廠もありました。現在、広島市の郷土資料館がある場所で資料館自体も当時の建物の一部です。糧は兵士の食糧、缶詰など、秣は軍馬の飼料。それも貨車に積んでそして戦場へ向かったのです」(写真を指差しながら解説して頂いたのは内藤達郎事務局長)

その糧秣廠は、本廠が東京に、そして支廠は札幌、さらには満州に置かれていた。被服廠も東京に本廠と支廠があり、地方都市の仙台にも支廠があったが「軍都広島」の状況はその集積度においてはやはり特別だった。

旧陸軍被服支廠は「負」の世界遺産、原爆ドームにも匹敵する価値を有するが、それ単体ではなく兵器支廠、糧秣支廠、宇品線、宇品港そして似島の歴史と現存する建物、関連施設などをセットにして世界の人々に示すべきものだろう。

必要不可欠な手順やだんどりを平気で「はしょった」りする行政サイドになど任しちゃおけない、とみんなが本気になっているこの流れをさらに確かなものにして、宇品線を世界で唯一の平和祈念のためだけの専用線として復活させるぐらいでないと…

やがてまた「番組の途中ですが臨時ニュースをお伝えします…さきほどのJアラートに関する極めて重大な発表がありました。現在、国内5都市に向けて…」などという緊急速報が届くか届かないかのうちに、川は燃え漆黒の闇が瓦礫の街を包み込むような世界に引き戻されかねない。

広島スポーツ100年取材班
※この記事は福山平成大学「広島スポーツ学」から一部、内容を引用しています。

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