画像は9月3日午前9時30分ごろ、遺構とは別のところを「切り取る」作業中の関係者
湯崎知事が世界的な価値のある旧陸軍被服支廠を“ぶっ壊す”と言い放ち、そのあと大騒動になってけっきょく「保存」に行き着いた話を、ひろスポ!では独自の視点で報じてきた。
その最初の記事がコレ! 瞬く間に湯崎知事の「解体論」は猛烈な逆風を受けることになった。
最初から湯崎知事の判断が世界の常識に反していたのは、明らかだった。
50年後、100年後を考えれば当然「リアル」な旧陸軍被服支廠4棟は全保存、危機的状況に県が意見募集へ、突き詰めれば広島サッカースタジアム問題と一緒! | 【ひろスポ!】広島スポーツニュースメディア (hirospo.com)
(2019年12月17日掲載)
50年後、100年後を考えれば当然「リアル」な旧陸軍被服支廠4棟は全保存、危機的状況に県が意見募集へ、突き詰めれば広島サッカースタジアム問題と一緒! | 【ひろスポ!】広島スポーツニュースメディア (hirospo.com)
(2019年12月17日掲載)
(2020年1月14日掲載)
旧陸軍被服支廠解体に一端「待った!」だからいわんこっちゃない!サッカースタジアム問題で県民振り回した湯崎知事またイエローカード! | 【ひろスポ!】広島スポーツニュースメディア (hirospo.com)
(2020年1月25日掲載)
これと同じこんとを今度は松井広島市長がやろうとしている。さすがはサッカースタジアムの旧広島市民球場跡地への建設を意地でも阻止して、広島みなと公園に持っていこうとした“ツートップ”だけのことはある。
広島の平和、文化、スポーツに対する認識が甘い、甘すぎる。
広島の空が怒りを露わにした。
9月3日午前9時半から、広島市はサッカースタジアム建設場所の下に眠る、原爆ドーム、旧陸軍被服支廠と同等の価値がある可能性の高い、遺構“ぶち壊し”に着手しようとした。が、未明からの雨脚が強まり、市では作業一日延期をマスコミに伝えた。
実際、その時間に現地に行ってみた。おそらく遺構切り取りを託された業者だろう。別の場所の切り取りを行っていた。そのまさに午前9時半前、ゴロゴロと基町中央公園上空は雷の音が鳴り響いていた。
この、幸いにして“一日生き延びた”遺構は旧陸軍被服支廠と一緒で「旧陸軍」の存在を示す大事な「リアル」だ。最大の特徴は「スケール感」、切り取りではそれが無になる。
遺構の存在を知ってしまった広島市はそれを隠し続けてきた。「書いてもらっては困る」と担当者が懇願する中、中国新聞が6月15日付紙面で「広島・中央公園のサカスタ用地に被爆遺構 最大級の規模、旧陸軍施設」の見出しを付けすっぱ抜いた。
もちろんひろスポ!も知っていた。しかし中国新聞でないとそこはダメ。話は瞬く間に広がった。
焦る市では、市民や被爆者団体、日本考古学協会など多方面からの要望に抗うかのように、8月19日午前10時15分からの市長定例会見で「切り取り」だけを強調した。
8月24日、広島の被爆者6団体と市民団体、専門家の計11者連名による「要望書」が広島市側に直接、手渡された。要望は数項目に渡り、2度目の話合いは9月2日に設定された。
だが9月1日、市は「3日切り取り作業開始」を発表。2日の二度目の話合いで市は防戦一方になりながらもぶち壊し、の意思は決して曲げようとしなかった。
市の担当者らは「文化庁」への報告とお墨付き、を団体側の抗議の盾に使った。
なので、ひろスポ!ひろスタ特命取材班では文化庁にそのやりとりを全て報告して、「切り取りの前に地元合意を」というピンポイントなところを抑えるようリクエストした。
雨は午後には上がった。
やはり、広島の空が「待った!」をかけよ、と言っていたのだろう…
この問題は極端な話、原爆ドーム保存をやめて野晒しにするのと一緒、である。
(ひろスタ特命取材班)
一日生き延びた遺構群を撮影するカメラクルー